エドワード・エルリックは変わり者だ。あらゆる意味で。
アレックス・ビートンは斜め前の席に座る少年の後ろ姿を眺める。今年度から3学年に編入してきた少年で、名をエドワード・エルリックという。アレックスは決して人見知りする性格ではないが、半年経った今でも彼とは挨拶程度しか言葉を交わしたことはない。
彼は編入当初から有名人だった。腐っても最高峰、ただでさえ入学が難しいセントラル医大に編入してきたというだけで注目を浴びるのに、17歳ときた。それも、資格を返上したとは言うが、あの「鋼の錬金術師」だ。騒がれない訳がない。それなのに彼は周りの喧騒も何処吹く風と言わんばかりに飄々と過ごし、ひたすらに勉学に励んでいた。
更に言わせてもらえば、有り体に言って、彼はモテる。あの金髪金眼は人目を引くし(女性陣によれば金色ではなく蜂蜜色らしい)、話しかければ結構気さくに乗ってくる。身長がやや足りないものの、許容範囲内だし、まだ成長期らしく伸び続けている。秋波を送る女学生もちらほらいるが、全く靡かないのも変わり者たる所以だ。
それから、彼に親しい友人はひとりもいない。
どんな人間でもひと月もすれば行動を共にする人間が出てくるものだ。なのに人当たりの良い彼がいまだにひとりで居続けるのは、彼がそう望んでいるからに他ならない。
アレックスはそれが不思議だ。勿論ひとりでいることが好きな人間なんていくらでもいる。自分だって結構ひとりでいることが多い性質だと思う。それでも仲の良い友人というのは一人二人いるものだ。けれども彼は常に一人で行動し、同級生の誘いは穏やかに断り、ひたすら学問に打ち込み、一人暮らしのアパートに帰ってゆく。日によっては大学で一言も発していないのではないだろうか。もしかすると、家でも。
何をそんなに、焦っているのだろうか。
彼はどこからどう見たって天才だ。これまでセントラル医大でトップを走って来たアレックスがプライドを粉々に打ち砕かれるくらいに天才だ。それなのに一体何を急ぐ必要があるのだろうか。
「では、今日はここまで」
そんなことをつらつらと考えているうちに、時計の針は講義終了時刻を指している。他の学生と同じように、エドワード・エルリックも教科書とノートをまとめて立ち上がった。その瞬間、
ぐらり、と彼の体が崩れ落ちた。
「…っおい!」
アレックスは慌てて倒れた彼に駆け寄る。崩れた体を起こして覗きこめば、
「…寝てる…?」
間抜け面を晒して眠る天才の姿がそこにあった。
***
「…あれ?」
エドワードは目覚めた瞬間視界に飛び込んできた見慣れない天井に眉を顰めた。すると、いつから居たのだろうか、自分の眠るベッドの隣で椅子に座って本を読んでいた男が顔を上げる。どうやら医務室のようだ。
「おう、起きたか」
「…ローリー?」
「あれ、おまえ俺の名前知ってんの?」
同級生のひとり、ニコラス・ローリーは意外そうに言って本を閉じる。
実は真っ先に覚えた名前なのだ。時折聞こえる声やふてぶてしい態度が、以前戦ったことも手を借りたこともある、長髪のホムンクルスに似通っていたから。
「おまえ覚えてる?3限の講義のあと、立ち上がった途端に寝ちまったんだけど」
「あー……そっか…。悪ィな、迷惑かけて」
「や、俺じゃねーよ、連れてきたの。奴が授業だから俺は留守番頼まれてただけだ。ま、それはいいとして。おまえあだ名が1コ増えたぜ、『眠り姫』」
「なんつー悪趣味な…」
「同感」
ニヒヒとニコラスは笑った。今まで話したことはないが、気は合うかもしれない。
「しっかしまー、何やってんのエルリック?医者が過労って言ってたぜ」
「や、ちょっと寝るのと食うの忘れてて」
「は?」
ニコラスは理解できない、といった顔のまま固まった。
8秒後に爆笑する。
「ば、ばっかみてぇ…!初めて聞いたそんな言い訳!どーしよ腹いてえ…!!」
「んな笑うなよ!」
「いや笑うよ!笑うだろ!悪いが笑わせてもらう!」
「むっかつく…!」
「忘れねえだろフツー!」
「忘れんだよ時々!今回はちょっと長かっただけだ!」
「ひィ、これ以上笑わせんな!まあったく、アレクが気にしてるからどんな奴かと思えば…!」
「ああ?」
「それ以上喋るなニコラス!」
ベッドを隔離するように引かれていたカーテンがシャッと開く。怒りを露わにして登場したのは栗色の髪をした青年、確かアレックス・ビートンだ。その後ろからのっそりとした巨体が顔を出した。彼の名は知らない。
「あ、戻って来たのかアレク。オスカーも。起きたぜ眠り姫」
「眠り姫はやめろ!」
「うるさいなおチビさん」
「誰が豆粒ドチビかコルァ!!」
「…随分印象が違うな」
「いいんじゃねー?こーゆー馬鹿は好きだぜ俺は」
呆然としたアレックスとにやけたオスカーが顔を見合わせる。
やっちまったなあとエドワードは思う。
早く、早く。ただそれだけを願ってひたすらに突っ走ってきたのだけれど。
あんたのもとに辿り着くのはちょっと遅くなるかも知んねえ。約束なんかしてないけどさ。
でもきっと約束していたとしても、あの大人はゆっくりおいでと微笑むんだろうと、そう思う。