「コーヒー淹れたけど飲むかー?」
珍しい誘いにニコラス・ローリーは顔を上げた。最近入り浸っているエドワードの部屋だ。本棚のすぐ傍、側面に寄りかかれる場所がニコラスの指定席である。
「飲む。けどおまえ、そんなんできたんだ?」
「失礼な。言っとくけど美味いぜ俺のコーヒーは!」
得意げなエドワードにニコラスは首を傾げる。最近親しくなったこの友人は、味覚オンチとは言わないが、味というものを気にしない人間なのだ。食事は栄養をとるためのものであって、楽しみとは考えていない、という言い方が正しいだろうか。
「エドさあ、好きな食べ物とかある?」
「え?シチューとかアップルパイとか?」
「あるのか…。意外」
「…おまえら時々俺のこと妖怪かなんかだと思ってないか?」
「変人だとは思ってる」
「黙りやがれ」
そう言いながらもマグカップに注いだ珈琲を手渡してくれる。香ばしい薫りを楽しんでから一口啜る。
「あ、ウマイ」
「だから言っただろーが」
「だっておまえさあ、料理とかもできるできるって言うワリに…」
「できるだろ。こないだおまえも食ったじゃん」
「うん、まあ可もなく不可もなくって感じ」
「ニコラスおまえ、口が悪くて女にフラれるタチだろ」
「やだなー、今んとこ全戦全勝よ俺?」
笑いながら、そうじゃなくて、と話を戻す。
「食べ物にこだわりがあると思わなかったんだよ。大抵俺らが買ってきたものテキトーに食ってるし」
「あー、まあな。基本的には食えれば何でもいいけど」
「ホラ」
「うーん。単純に味の問題で好きっていうより思い入れがあるから好きっていう方が多いかな。シチューは昔牛乳嫌いの俺に母さんが作ってくれたんだけどさー、これがもうマジ旨くって!シチューを考えた人も母さんも天才だと思った」
「アップルパイは?」
「…説明が難しい」
「なんだそれ」
「とりあえず、幼馴染が作ってくれるアップルパイが一番好きだな」
「女の子?彼女?」
「あれを女と呼べるかどうかは置いとくとして、弟の彼女だよ」
「ふうん…とられたのか」
「人聞きの悪いコトゆーな!」
「あーハイハイ。弟ラブだもんねおまえ」
異常なまでに。その一言はどうにか飲み込んだ。
エルリック兄弟が昔二人で旅をしていた、というのは聞いたことがある。エドワードが昔の話をしないから聞かないでいるけれど、その旅の間に培った絆は大きいのだろう。
ひと月ほど前から彼とはつるんでいるけれど、自分もアレックスもオスカーも、なんとなく彼の過去には触れられないでいるのだ。エドワードが銀時計を返還しているせいかもしれない。軍属だった彼は、一年前の大規模なクーデターについて、自分たち一般人が想像できないようなことを知っているのだろう。銀時計を返すほど、つまりはもう軍と関わりたくないと思うほど、悲惨な内情を。
「…じゃあ、コーヒーは?」
「え?あー、昔クソ不味いコーヒーばっか飲まされた覚えがあってさー。あれ以来、せめて家で飲むときくらいはウマイのを淹れようと決意した」
そう言ってエドワードは緩く微笑う。
――出た。
まただ。また、その表情を見せた。
そうやってエドワードが笑うたび、ニコラスは問い詰めたくなるのを必死で抑えている。
なあおまえ、今、誰を思い浮かべてんの?
印象が狂うのだ。ニコラスが噂に聞いたことのある「鋼の錬金術師」は天真爛漫な子供だった。半年の間時折見かけた「天才」はソツのない優等生だった。このひと月で知った「友人」は年相応に馬鹿みたいなところのある仲間思いの少年だった。
けれど今目の前にいる彼はそのどれでもなくて、ひどく大人びていて、とても、遠くに感じる。
彼が想いを馳せているのが誰であろうとニコラスには関係のないことだ。でも自分たちと一緒にいる間くらいは、彼に「友人」のままでいてほしいと思う。
「…エド、御代り!」
瞬間、ぱっと「こちら」に彼が戻ってくる。それに満足してニコラスは笑うのだ。
「もうねえよ」
「じゃあ淹れてよ。どーせ研究に煮詰まってるから俺を構いだしたんでしょ?」
「そうだけどさ…」
エドワードは、人遣いが荒い、とブツブツ言いながらカップを手にキッチンへ向かう。
彼が求めているものなど知らない。彼が今ここにいる理由など知らない。
けれど、生き急ぐ彼に、少しだけでいい、一緒にモラトリアムを享受してくれないかなあと、願う。