「そーだ、おまえも飲む?」
 掛けられた声にオスカーは振り向いた。窓際の指定席で紫煙を燻らせていた自分に声を掛けたのはこの部屋の持ち主、エドワードだ。手にしているのは薄い蜂蜜色の液体の入った瓶。ラベルはない。
「それ何だ?」
「林檎酒。そこの角の果物屋のおばちゃんがくれたんだ、お手製だって」
 そう言って笑うエドワードは件の女性が学生に厳しいことを知っているのだろうか?
 オスカー自身最近気付いたことなのだけれど、エドワードは結構なマダムキラーだ。否、年上キラーと言った方が正しいだろうか。普段はおとなしくて挨拶のしっかり出来る好青年が、いったん親しくなると笑顔を振りまいて懐いてくるのがたまらないらしい(オスカーが単位認定のため拝み倒しに行った女助教授の談。隣で話を聞いていた男性講師がうんうんと頷いていた)。
 果物屋の女主人の普段の態度を思い出しながら、彼女も取り込まれたかとオスカーはひっそりと嘆息する。
 まあ、こうして彼を構っている自分が言えることではないのだけれど。
「飲むの?飲まねえの?」
「飲むに決まってんだろ、」
 オスカーはそこまで言ってからはたと思い当たる。目の前の未成年が飲酒するところをかつて見たことがあっただろうか?
「…おまえ、酒飲めんのか」
「馬鹿にすんなよ、ひととーり試したぜ」
 一通りって何だ。浮かんだ疑問はとりあえず置いておき、オスカーは声を強める。
「なんで今まで言わなかったんだよ!」
「は?聞かれたことねえし…」
「ああもう!ちょっと待ってろ!呼んでくる!」
「は?」
 説明は後で。そう言い残してオスカーは部屋を飛び出した。




 そして3時間後。エドワードの部屋には持ち込んだ酒瓶が散乱し、すっかり酔っぱらったニコラスが寝転がっている。アレックスがその脇腹を突っついているが、きっと彼は朝まで起きないだろう。
「よくわかんねえんだけどさあ…。おまえらは酒が飲みたかったの?俺と?」
 エドワードがウイスキーの入ったグラスを傾けながら尋ねる。意外なことに彼はザルだ。
「男同士の付き合いに酒は必要不可欠だろ。おまえが未成年だからと思って気を使ってやってたのにさあ…」
「そりゃ悪かったな、でも考えたらわかるじゃん。俺が旅してたことは知ってるんだろ?町の食堂とか酒場とか行くとおっさんたちに誘われるんだよ。探し物の情報知りたかったらそーゆーのにも付き合ってたし、なにより俺って軍属だったんだぜ?司令部の飲み会にはしょっちゅう連れて行かれたよ」
 こちらの会話に興味を覚えたらしいアレックスが口をはさむ。
「軍人と仲良かったのか?」
「まあそれなりに」
「軍人ってむちゃくちゃ飲むだろー。実家の近所に住んでたオッサン、もの凄く酒豪だったぞ」
「人によりけりじゃねえ?弱い人もいたよ。それでも飲まされるから少しは飲めるようになったみたいだけど」
 そう言ってエドワードは思い出したように笑う。
「…なんだ?」
「いや、世話になってた司令部ン中でさ、一番の酒豪は若い女の中尉だったんだよなあ…」
「それは…強えな。色々と」
「むしろ周りの男が情けないんじゃないのか」
「でもエド、おまえも相当イケるクチだろ。今も酔ってないじゃんか」
「うーん、多少気は大きくなるんだけどな。弟には元からだって言われるけど」
「弟が正しい」
「みんなそう言う。ま、酒は飲み方も飲ませ方も酔い方も酔った振りの仕方もちゃんと教わったからな!問題ねえぜ!」
「誰に?」
「えーっと、その女の人と、あと後見人とか…」
「いやアレク、突っ込みどころはそこじゃねえだろ…。なんだよ酔った振りの仕方って」
「安全策」
「は?」
「だってさ、酔った大人って欲情するくせに酔っぱらった子供には手ぇ出せないんだぜ」
「…………へえ」
 平常心を装った声で答えたアレックスを褒めてやりたい。自分は声など出せなかった。
 ……酔ってなければ手を出されるのか?
 こちらの動揺に気付かないエドワードはやっぱり酔っているのかもしれない。
「こっちは急ぐ旅をしてんだからさ、翌日休みの大人と一緒にすんじゃねえっつの。持ち帰られてたまるか」
 ……お持ち帰り、されるんだ?
 アレックスと視線を合わせた。流石の彼も今度は反応に困ったらしい。当然だ。
 絶対に気が大きくなっている。普段なら何があっても言わないだろうよそんなこと。弟君よ考え直せ!
「…ちなみに酔ってなければ持ち帰りされたことはあるのか?」
 勇者だアレックス。そしてニコラスが眠っていることに本気で感謝する。彼が起きていたら大騒ぎになっていたことは想像に難くない。
「あー、うん、まあそりゃあ…」
 エドワードは若干赤くなって頭を掻いた。酒の偉大さにオスカーは感服する。
「…誰に…?」
 これから1週間、アレックスの家の方角に足を向けて寝るのはやめようとオスカーは本気で思った。
 けれどもその質問で我に返ったらしいエドワードは、途端に顔を真っ青にする。
「……おまえら、酔ってるよな……?」
「…多少?」
 真顔で答えたアレックスに、エドワードは拳をぷるぷると震わせる。それからあらん限りの声で叫んだ。



「今聞いたこと、全部忘れろッ!!」






 そりゃあ無理ってもんだろうよ……。
 焦りで怒り狂った獣を前にオスカーは、アレックスと二人、顔を見合せて嘆息するのだった。