しくじった。キム家と思われる敵はきちんと始末したけれど、自身が負った傷も浅くはない。どうしようかと束の間リンは逡巡したけれど、元より迷う余地などない。このアメストリス中央で頼れるところなど2箇所しかないのだ。そのうちの一つである軍は、周りで張っている新たな敵を寄せ付けるだけだから却下。とすれば残るは金髪の友人宅だ。御誂え向きに医学部ときた、応急処置くらいは施してもらえるだろう。
 そうと決めたらリンの行動は素早かった。一目散に目指すのは大学の傍、小さな古アパートの3階角部屋。




 結論から言うと、エドワードにしては大変珍しいことにリンを歓待した。揉み手のオプション付きで。
「なんだよバッカだなー、刺されたのか?もっと周りに気を付けろよな次期皇帝閣下!ところで応急処置なんてケチくさいこと言わずにちゃちゃっと俺に丸ごと預けてみねえ?え、嫌?なんでだよ、一緒に扉を潜った仲じゃんか俺ら。な、な、そんな冷てぇこと言わないでさ!いやー丁度3日前に完成したとこだったんだよね新しい錬成陣、しかも錬丹術との融合だぜ!俺としてもすぐに効果を確認したかったんだけど、そのへんの健康な人間にやっても仕方ねえし、自分の腹カッ捌く訳にもいかねえし?おまえホントいいとこ来たよ、やっぱり持つべきものは生傷絶えない友人だな!」
 そんなことを晴れやかな笑顔で言わないでほしい。リンは心から脱力した。
「成功するんだろうナ…」
「大丈夫大丈夫」
「おまえの錬金術の腕は信用しているガ、試作品は勘弁しろヨ…」
「だっからヘーキだって、ちょっとそのへんで待ってろ被験体」
「今何か不穏な単語を使わなかったカ…」
 リンは溜息を吐くけれど、実際のところ、彼に任せるしかない。彼が自信満々で大丈夫というからには問題ないのだろう(…多分)。
 こちらの胸中も知らず、エドワードは上機嫌で床に錬成陣を描いていく。
「こっちになー、錬丹術の陣をあらかじめ書いておくんだよ。これは定型。で、いつもみたく自分を構築式にして錬金術を発動して、それを錬丹術にぶつけるんだ。錬金術の方は傷の程度を見ながら微調整するけど。あ、おまえはその間にサンドイッチされてればいいから。…と、うっし、描き終わったぞ!この陣の上に寝っ転がれ」
「ハイハイ…」
「ハイは一回!」
「ハーイ…」
 リンはのろのろと錬成陣に向かった。何が書いてあるかなどさっぱりわからないが、陣の中心に自分の腹の傷がくるように動く。
「これでいいカ?」
「うん、オッケ。いくぞー」
 エドワードはもう一度腹の傷を確認し、僅かに考える様子を見せてから、パン、と両の掌を打ち合わせた。
 その両手から青白い光が迸る。
 言ったことなどないけれど、リンはこのエドワードの錬成が存外好きだ。



 神に祈るかのような、その敬虔な姿が。



 錬金術は、神が世界を創造した過程を再現するものだと聞いたことがある。彼が好んで身に纏っていた赤が神との合一を意味する色だということも。
 勿論、彼ら錬金術師が唯一神を信仰しているとは思わない。現代において錬金術は科学の元祖であり延長だ。そしてあの合わせた掌は、祈りなどではなく戒めだ。

 そう、戒めなのだろうと、思う。

 リンがこの国で出会った錬金術師は3人だけだ。エドワードとアルフォンス、それからマスタング。
 どうして彼らは錬金術を手放さないのだろうと考えたことがある。いくら偉大であろうとも、頼りたい力ではないだろうに。何故なら彼らの錬金術は彼らの罪の象徴だから。母親の人体錬成も、イシュヴァールでの大量殺人も、忘れられる罪などではない筈だ。誰に許されようと決して自分では許すことなどできない疵の筈だ。
 ひとつ錬成する度に過去を思い出し、未来を戒めているのだろうと、そう思う。


「終わったぜ」


 掛けられた声に我に返り、リンは傷を見遣る。結構深く刺された筈だが傷痕はなく、試しに腹筋に力を入れてみたが痛みはない。
「やるナおまえ…。ウチのお抱え宮廷医にしてやろうカ」
「全力で遠慮する」
「失礼な奴だナ、なりたくてもなれない人間が山程いるのニ…。まあいイ、助かっタ、礼を言ウ」
「いいってことよ。こっちも実験できたし貸し借りナシな!」
「…やっぱり実験だったのカ」
「細かいことは気にしない!」
「まあ過ぎたことはいいとしテ…。代わりに一つだけ聞かせロ」
「ん?」
「おまえにとって、錬金術とは何ダ?」
「…は?」
 予想外な質問だったらしく、エドワードはぽかんと口を開けた。リンが繰り返すと、うーんと小さく唸ってから、わかったと言わんばかりに顔を輝かせた。


「力だな。前に進むための力!」


 修羅の道を行くと言うのか。
 罪を捨てず、咎を背負い、それでも前に進むと言うのか。
 ならばそれは、ひどく苦しい生き方だ。辛くて哀しい生き方だ。
 それでも彼らはその未来を望むのか。その未来の中で胸を張り、前を見据えて生きようとするのか。



 リンはゆっくりと瞼を閉じた。
 祈る神など持たない。それでも祈らずにはいられない。


 どうか、彼らの未来に幸多からんことを。