「リゼンブールだよー!」
 元気の良い車掌の声を聞いて、ホークアイは荷物を手にドアをくぐった。この村に降り立つのは2度目のことだ。初めは上司と共に、そして今回は一人で。
 何もないところだよ、と少年たちがよく言っていたのを覚えている。けれどもいいところだよと、綻ぶ様な笑顔で言っていたことも。
 駅を出ると一組の少年少女が立っていた。否、青年と妙齢の女性と言ったほうが良いのかもしれない。青年の顔に見覚えはなかったけれど一目であの優しい男の子だとわかって、ホークアイはゆっくりと微笑んだ。
「こんにちは、アルフォンスくん、ウィンリィちゃん」
 少し不安げにしていた青年の顔が途端にほどけた。お久しぶりですと嬉しそうに言うアルフォンスに、変わらないなと懐かしく思った。



 ロックベル家に着くと、これだけはアルに負けないんですと言いながら、ウィンリィが紅茶を淹れて振る舞ってくれた。料理にすっかりはまっているというアルフォンスお手製のスコーンはとても美味しくて、ホークアイは久方ぶりに落ち着いた、贅沢な時間を得た気がした。軍での日常は相変わらず忙しくて、こんなゆったりした時間をとれることなど滅多にないのだ。
「ごめんなさいね、突然来てしまって」
 紅茶を飲みながらホークアイは申し訳なさそうに言う。実際、自分が彼らに連絡をしたのはつい一昨日のことだ。急に取れた休みを使って、上司には秘密でやって来たのである。
「いいえ、こちらこそ軍の皆さんにはよくしてもらったのに顔も出さずにすみません」
「それはいいのよ。アルフォンスくんは体調の問題もあっただろうし、何より生身の体の『鋼の錬金術師の弟』が出歩くにはセントラルは危険すぎるわ。本当はもっと早く私たちがここに来られれば良かったんだけど、軍が収まらない中で下手に動いてリゼンブールに目をつけられたくなかったものだから」
「お気遣いありがとうございます。軍の方はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、テロはまだ頻発しているけれど、内部は大分落ち着いてきたわ」
 中将にまで上り詰めた上司は相変わらず敵が多いが、強硬な手段に出そうな人間は今のところ見当たらない。おそらく最大の政敵となるのはアームストロング大将であろうし、彼女がエルリック兄弟を害することは考えられない。
「アルフォンスくんはこれからもずっとリゼンブールで暮らしていくのかしら?」
「将来的にはそうするつもりですけど…。もうしばらくしたら、1年くらいはセントラルかイーストシティの開業医にお世話になって今後村医者をやっていくための勉強をしたいんです」
「そう…それはいいわね」
 けれど、とホークアイは思った。勿論彼の夢は応援したいが、正直なところ、『アルフォンス・エルリック』にセントラルで動かれるのは困るのだ。
 それを見透かしたように、大丈夫ですよ、とアルフォンスは笑った。
「実は師匠と話をつけてあるんです。僕はリゼンブール以外ではアルフォンス・カーティスを名乗りますよ。公的には既に師匠夫妻の養子です」
 いたずらっぽく見てくるアルフォンスに、ホークアイはつい笑ってしまう。
「考えを読まれるなんて軍人失格ね。でも正直、安心したわ。ありがとう」
「いいえ、お礼を言われるようなことは何も。……それで、本題なんですけど」
 打って変わって申し訳なさそうにアルフォンスが言う。
「兄さんのことで来たんですよね?折角来て頂いたのに申し訳ないんですが……兄さんは今、シンにいます」



「それは…帰ってくるのよね?」
「あ、はい勿論!ちょっと勉強しに2週間くらい滞在するだけです。往復で結局1ヶ月くらいはいませんが」
「そう…。会えないのは残念だけど、それなら仕方ないわね。彼の技術の向上は私たちも望んでいるし」
「あの…ホントに馬鹿な兄ですみません…。自由に動ける立場のくせにそちらに挨拶にも行かないで」
「それはいいのよ。私はエドワードくんの気持ちが結構わかるから」
「本当に?」
 心底驚いたようにアルフォンスは目を見開く。
 あの上司に胸を張って向き合えるまで会わないのだと聞いた。真実彼の役に立てるまで会わないのだと。それはいっそ潔いではないか。会いたい気持ちがあるのに会わない彼をらしくないとハボックは評したが、至って彼らしい思考だとホークアイは思う。
「わかっているつもりよ。だからそれに関しては問わないわ。だけどハボックの足の治療の話、聞いているでしょう?その治療の準備のために彼もセントラルに越してくるつもりなんだけど、まだ何処になるかもわからないし、色々と連絡が必要になると思って。実際に動くのは多分ブレダ中尉になると思うけど、彼の家には電話がないから何かあったらうちに連絡してほしいと伝えてもらえるかしら?番号はここに書いておくわね。アルフォンスくんもセントラルに出てくるときは声を掛けてね。ある程度の便宜は図ってあげられると思うわ」
「何から何まですみません…。ウチの兄、やることだけはさっさと決めるのにそういう細かいところに気が回らなくて…」
 恐縮するアルフォンスに、ホークアイはくすりと笑う。
「いいのよ、全部手配されてしまったら私たちの出る幕がないわ。同僚のようやくの復活ですもの、私たちだって協力したいのよ」
「ありがとうございます。伝えておきますね」
「お礼を言うのは私たちだわ」
「それは、治療が成功した後に」
「あら、知らないの?」
 何を、と訝しがるアルフォンスに、ホークアイはにっこりと微笑む。

「マスタング組にはね、エルリック兄弟の成功を信じない人間なんてひとりもいないのよ」







 ねえエドワードくん、
 急げと言わないわ。技術も感情も、急ごうとして追いつくものではないでしょう。
 あの貪欲なひとに全て捧げる支度をするのはきっと大変なことでしょう。
 でも、あのひとは待っているから。
 昔と変わらぬ想いであなたを待っているから。
 だからあのひとの隣に立つ心の準備が出来たら、
 どうか一目散に、彼のもとに帰ってきてください。