夜も遅い。
一緒に戦ってくれと、目の前の男が新軍主に伝えたのは数刻前のこと。カクの町から引き揚げたあと、ビクトールはフリックに与えられた部屋で杯を酌み交わしていた。
「……でかくなったな、解放軍は」
ぽつりと呟いたフリックに、ちらりとビクトールは視線を遣った。ぐいっと透明な酒を呷る。
「まだ、これからだろうよ。これからどんどん、この軍はでかくなる」
「……そうだな……」
フリックがテーブルにうつ伏せた。かなり酔っているのだろう、彼にしては早いペースで瓶を空けている。
「…昼間は悪かったな。おまえの所為じゃないのに」
「いや、守ってやれなかったのは本当だからな……」
そう答えれば、フリックはしばし沈黙した。ビクトールは手酌で酒を注ぐ。
「…………なあ、ビクトール」
なんだ、とビクトールは返した。くぐもった声でフリックは問う。
「オデッサは、何か……何か、言い遺したりはしなかったか……?」
いつか、聞かれるだろうと思っていた。それに応えるべきは己ではないけれど。
『どうやらわたしは、解放軍のリーダーとしての自分より、一人の女としての自分を選んでしまったようね』
おまえの所為ではない、とフリックは言った。しかし実際のところ、責任の大部分は己にあるとビクトールは思っている。物理的に彼女を守ってやれなかったことではなく、フェンを、オデッサに引き会わせたことによって。
リーダーにしては甘すぎる。以前からビクトールはオデッサに対してそう思っていた。彼女の優しさが、あたたかさが、その奥にある芯の強さが人々を引き付けることはわかっていた。だけどそれでも、強大な帝国に立ち向かうには、彼女はあまりに優しすぎると。
おそらくオデッサは自分でもそう思っていたのだろう。だが旧解放軍には彼女以上にリーダーの器を持つ者はいなかった。だから彼女は軍主で在り続けようとしていたのだ。
その彼女にフェンを会わせてしまった。あの、強烈な光を放つ少年に出会わせてしまった。
オデッサは一目で彼を気に入った。それはきっと、安堵であったのだろうとビクトールは思う。
もし己が軍主の座を退いても、解放軍は存続できると。
解放軍のリーダーではなく、一人の人間として、ただの女として生きても良いのではないかと。
もし、己が死んだとしても、自由への希望は決して潰えないと。
彼女に与えた安堵があの結果を招いたのだとしたら、責を負うべきは間違いなく自分だった。どんな懺悔も何の役にも立たないが、彼女の遺志だけは果たさねばならない。それがビクトールにできる唯一の贖罪だった。
この地に自由を。人々に解放を。
「……それは、リーダーに聞いてやれ」
ビクトールはぐいっと杯を干した。テーブルから起きあがったフリックがちびちびと酒を口に運ぶ。
「そうか……そうだな……」
フリックは何か思案するようにぐるりと頭を捻った。酒気を追い払おうとしたのかもしれない。
「フェンもだが……ここには、子供が多いな……。レナンカンプじゃ、考えられなかったことだ」
「それも、悪かないんじゃねえのか。それだけ未来が多いってことだ。死なせるわけにゃいかねえが」
「そうだな……」
広い城。増えた人員。若い戦士。異種族の有志。城に満ちる活気。
変わったものをひとつずつ確かめるかのように、フリックはぽつりぽつりと数え上げた。
「……ほんとに……。オデッサはもう、いないんだな……」
フリックは目を閉じて両手を額に押し当てた。涙を堪えているのだろうと思った。
泣けば良い、とは言わなかった。きっと泣きたくなどないのだこの男は。思い出まで流れてしまうようで。
ビクトールは窓から夜空を見上げた。馬鹿みたいに星が綺麗に瞬いていた。
『あなたのやさしさは、いつも、いつでも、わたしをなぐさめてくれた』