「よ、暇そうだな」
デュナン城のメインホール。軍主はロックアックスに向かっているはずで、パーティから外れて暇を持て余しているフリックは仏頂面の魔法使いに声を掛けた。相棒の熊は軍主のお供をしている。
「…あんたと一緒にしないでくれる。僕はこれでも仕事中」
「そうは言ったって、突っ立ってるだけじゃねえか」
「うるさいよ青雷。そんなにヒマならグリンヒルのガキのところに飛ばしてやろうか」
「げ、勘弁しろよ!ちょっと声掛けただけだってのに…」
「今は酒場にいるみたいだし、大した手間じゃないから遠慮しなくていいよ。この僕が直々に送ってやるんだ、感謝しなよね」
「冗談じゃない!そもそもなんであいつの居場所がわかるんだ!」
「風がうるさいんだよ、僕を誰だと思ってるの?大体あんたは………」
不自然に途切れた言葉をいぶかしんで、フリックは風使いの顔を覗き込んだ。途端に眉間の皺が深くなる。
「…なに。人の顔じろじろ見ないでくれる」
「いや、おまえこそ何だよ。どうかしたのか?」
「あんた、わかんないわけ?多少なりとも魔力があるくせにこの気配に気付けないなんて紋章の持ち腐れじゃないの?その左手の流水、僕が貰ってやろうか?」
「は?」
「大体あんたも散々あれの世話になっただろう。尤もあんたの場合、失敗されるときの方が多かったかもしれないけど」
「だから、何言って……」
「……彼女が来るよ」
ルックは不敵に微笑んだ。彼の視線を慌てて追えば、ヴォン、と視界が揺らめいた。
「あれ?あれ?ここってデュナン城?」
聞き覚えのある声がした。ホールに突然現れた黒髪の少女に、通りかかったヒックスとテンガアールが歓声を上げる。
「ビッキー!久し振りだね、ボクを覚えてる?」
「突然いなくなっちゃってみんな心配してたんだよ!」
「え?」
そういうことか。相変わらずの唐突さにフリックは小さく笑った。けれどもビッキーは困ったようにヒックスとテンガアールを交互に眺めている。
「あれえ…?えーっと、もしかして、変わっちゃった……?」
「…ビッキー?ボクらがわからない?」
「テンガちゃんとヒックスくんだよね?うーん、でも違うなあ…」
「違わないよ!」
ヒックスとテンガアールの顔が強張る。フリックの隣で小さな溜息が聞こえた。
「……ビッキー」
「え、あ、ルックくん!」
ぽやんとしていた彼女の瞳はルックを見つけるとぱちぱちと煌めいた。ぱたぱたとこちらに掛けてくるその後ろでヒックスが俯いている。ルックはちゃんとわかるんだ、とテンガアールが呟いたような気がした。
「ルックくん、急にいなくなっちゃったでしょ?ティルさんもいなくて、シーナくんがレパントさんに怒られてたよ?」
「……そこからか。その話はあとでしてやるから、後ろ。ちょっと時間が過ぎただけだ、『変わった』けど『違わない』よ」
「そっかあ……」
ビッキーはくるりと振り向いた。フリックの位置からはよく見えないけれど、再びぱちぱちと瞬いた気配がする。
「テンガちゃん、ヒックスくん、すぐ気付けなくって、ごめんね?」
ビッキーがそう言うと、二人は明らかにほっとした顔をした。それから何を思い出したのか、テンガアールが途端に慌てる。
「いけない!ボクらトウタくんに用があるんだった!またねビッキー!それからルック、ついでにフリックさん!」
「ついで…?」
駆け去る二人にフリックは苦笑する。ビッキーに視線を戻せば、彼女は困った表情でルックを見つめていた。
「ルックくん、わたし、とんじゃった?世界は変わっちゃった?それ、フリックさんだよね。でも変わっちゃったもんね、おじさんだもん」
「おじ…っ!」
反論しようとしたフリックをルックが瞳で制す。刺すような視線にフリックは思わずたじろぐ。
「そうだね、あんたの言葉でいうなら世界は確かに変わってしまった。でも、ほんの少しだ。ここにはあんたをあんただと分かる人が沢山いる。それはあんたにとって幸運なことだろう」
「うん、そうね。ちょっとしか変わらなかったんだね」
そう言って、現れてから初めてビッキーは笑った。訳もなくフリックはほっとする。
「でも、ルックくんは変わらないんだね」
「…そうだね」
「ねえルックくん、ルックくんは、変わらない人?」
ルックは僅かに視線を落とした。それから小さな声で、そうだね、と彼女に答えた。
「そっかあ…。じゃあ、また、会える?」
「……さあね」
「会えるといいな。あのね、今までにもいたよ、変わらない人。会ったことあるの。その人もね、変わらないよって、会えるよって言ってくれたの。でもね、どこにいるかわからないの。世界が変わっちゃってもどこかに変わらずにいてくれるんだと思うんだけど、でも、会えないの。会えないんだ…」
ルックよりも背の高いビッキーは俯き加減で言葉を紡いでいる。ルックは呆れたように笑みを漏らした。それは初めて見る表情だった。
「まったく、どいつもこいつも僕を誰だと思ってるのさ。ビッキー、あんたには僕が何であるかわかるだろう?」
「…ルックくんは、風だよ?」
「そうだよ。だから、呼べばいいだろう。もし今度、誰一人あんたを知る人間がいない世界に跳んでしまったら、風を呼べばいいだろ」
その言葉に思わずフリックは目を見開いて風使いを凝視した。冷血な皮肉屋で、毒舌を誇る彼の口からそんな言葉が飛び出すとは思えなかったのだ。
「…ほんとうに?呼んだら来てくれる?」
「約束はしない」
「……うん、ありがとう、ルックくん」
僅かに滲んだ彼女の眦にルックの指先が触れた。
「ねえビッキー。絶望なんて一瞬で手に入るのに、僕らの生は鬱陶しいほど長いね…」
彼女は、時間さえも跳び越えてしまうことがあるのだと。そう星辰剣に聞いたことがある。それからこの不機嫌な風使いも、かつての上司だった黒髪の少年も、決してその身に時を刻むことがないのだと。
知っていたし、理解していたつもりだったのだけれど、真実それをわかろうとしたことはなかったのだと、今更ながらにフリックは思う。平気な顔をしているから気付けなかったのだ。
すべてを置いて行ってしまう、彼女の虚しさを。
すべてに置いて逝かれてしまう、彼らの、淋しさを。
何でもない振りが得意な彼らの心情を思い描くことなどできないけれど、弱音を吐きたいと思ったことが、泣いてしまいたいと思ったことが、ない訳ないのだ彼らとて。
まるで、今の彼女のように。
吹き込む風は緩やかに通り過ぎていく。フリックはゆっくりと瞳を閉じた。