「ササライさま、アルバムなんて持ってましたっけ」
内科部長室の片付けをしながら、ナッシュは見慣れぬそれを視界の端に見付けて問うた。整理整頓がおそろしく苦手な上司は、ほこりっぽいなあ、なんて文句を言いながらコーヒーを飲んでいた。せめて仕事をして欲しいものだ。
「ああ、それか。この間ヒクサクさまが置いていったんだよ」
「へえ。見てもいいですか?」
「別に良いよ」
許可を得て、アルバムを手に取りぱらぱらとめくる。比較的最近のもののようで、この病院で撮ったと思われる写真が多い。院長の写真好きは周知の事実だ。
「……20代の息子たちの写真を喜々として撮る親ってどうなんでしょうね」
「はは。ナッシュ、きみそれヒクサクさまの前で言ってみるかい?」
「勘弁してください」
明らかに死亡フラグだ。ナッシュは大人しく引き下がり、再びアルバムに視線を落とす。ササライとルックの写真の数がきっちり同数なあたり、まめな人だなと思う。
「ササライさま、カメラ目線多いですね」
「だって写真って、カメラを見て撮られるものじゃないか」
「いやまあそうなんですけど……。ルック先生のは隠し撮りが多いのに」
「僕はカメラに気付くけど、ルックは気付かないからね」
へえ、とナッシュは意外に思う。あの警戒心の強そうな外科部長がカメラに気が付かないとは。人は見かけによらないものだな、と彼の認識を新しくする。
「そんなに面白い?」
しげしげと写真を眺めていれば、興味を引かれたのか、ササライが近付いてきてひょいと覗き込んだ。マグカップの中で揺れたコーヒーにナッシュは慌てる。たとえ非が120%ササライにあろうとも、この状況でアルバムを汚したら叱られるのはナッシュである。
「ちょ、ササライさまコーヒーはデスクに置いといてください」
「……君といいディオスといいレナといい、僕を子供扱いしすぎだよね」
「子供みたいなもんでしょう手元の危なっかしさにおいては」
「失礼だなあ」
そう言ってササライはマグカップを近くの書棚に置く。ナッシュはそれをデスクの上に移した。身に染みついた小間使い根性に泣きたくなる。
「ふうん。碌に見てなかったけど、結構色々撮ってるなあ、ヒクサクさま」
確かに随分な量だった。あれでいて親馬鹿なのか、と妙な感心をしながらページを繰れば、やたらと子供っぽい表情をしたルックが映っていた。こんな顔もするのか、と再び意外に思う。大抵ササライと共に彼と会うため、ナッシュの記憶にある弟君はいつも仏頂面だ。
「誰でしたっけ、このルック先生に殴られてる人」
「ああ、テッドくん」
名前は聞いたことがあった。まるで普通の兄弟喧嘩のような写真で、弟の方は妙に庶民的だよなあ、とナッシュは思う。ササライが殴り合いの喧嘩をするところなどは想像できない。同じ遺伝子を持って生まれても、人の性格は随分と異なるものだ。思ったことをそのまま口に出せば、ふうん、とササライは適当な相槌を打った。
「でも、兄は僕だよ」
「知ってますよそりゃ。兄弟喧嘩みたいだって言っただけです」
返しながら、あれ、とナッシュは疑問に思う。ほんの少し、ササライの声が固かったように思えたのだ。しかしこっそり上司の顔色を伺えばまったくいつも通りで、思い過ごしだろうか、と考え直す。
「だって、探知機能がついてるのも僕だし」
何のことだ、とは聞けなかった。今度こそ間違いではなく、声が固かったからだ。ああ地雷かなあ、この人なんだかんだで弟のこと好きだよな、考えながらナッシュはぐるぐると言葉を探す。
拗ねてるんですか、と聞くのは爆発ルートだ。しかしここで踏まずとも、どうせ自分はいびられる。ならば己の好奇心を満たす方が重要ではないだろうか、それでこそラトキエ流である。
「…………ササライさま。もしかして、拗ねてるんですか」
意を決して問えば、ササライはぱちくりと瞬いた。思いもよらなかった、という表情である。
「……ああ、そっか。そういうことなのかな」
爆発は免れた。今なら危険物取扱者試験に受かる気がする、とナッシュは思う。なかなかの快挙だ。
僕でも拗ねるんだなあ、なんて台詞はこっちが言いたい。まったく疲れる職場である。
「知らなかったな。今度セラちゃんにでも報告してみようか」
「どうなんですかそのチョイス。なんで姪に」
「あはは。ナッシュ、きみ減給ね」
「これはアウトなんですか!?」
勘弁してくださいササライさま! そう叫べば、早く掃除の続きしなよ、なんて返しながら上司は再びコーヒーを飲もうとする。温くなってるだろうな、換えを持ってこなければ。そう思ってしまう自分にはやっぱり小間使い根性が染みついていて、なんだかなあ、とナッシュは溜息を吐いた。
ナッササは、ひたすらナッシュが不幸であれば良いな、と思っています。ちょっと温すぎた。