百貨店のVIPサロンで買い物を済ませて、ササライが帰ろうと立ちあがったときのことだった。
「あ、よかったまだいらっしゃったんですね!」
ぱたぱたと足音を立てて駆けてきた青年に軽く手を上げて挨拶をする。ササライの相手をしていたセバスチャンは慌てて青年をたしなめた。
「やあ、トーマスくん」
「トーマス社長!そのように走られては困ります」
「あっ、ごめんなさい。ササライさんも、すみません」
「いえいえ」
礼儀云々でいうのならば、サロンのソファででガードマンらしき青年が寝そべっている時点でアウトである。しかも何故か葉っぱを口にくわえていて、草食なのかなあとササライはぼんやりと思う。
「どうしたんです?」
「ササライさんが見えてるってセシルに聞いたので。言ってくださればそちらに伺いましたのに」
「ああ、あの受付嬢の。良いんですよ、近くに用があったんです」
「そうでしたか。……えっと、実はササライさんにお話したいことがあって」
促されて、再びソファに腰掛ける。珍しいな、とササライは思った。
ササライはこのビュッデヒュッケ・デパートの上客であり、社長たるトーマスとも個人的な知り合いである。だから顔を合わせればそれなりに話をするが、こう改めて話がある、と言われたのは初めてだ。
「ええと……。ササライさんは、うちとハルモニアさんとの合同企画の話をご存知ですか?」
「え?ああ、そういえば聞いたことがあるかもなあ。何やるんだっけ?」
「食品から玩具、衣料品まで、ハルモニアっぽい商品をうちで作ろうという企画です」
「ふうん?」
それで、と話の続きを求めれば、トーマスは何故か躊躇いながら口を開く。
「ササライさん、最近注射器を持ち歩いてるって本当ですか?」
「うん、そうだけど?打って欲しいのかな?」
「いいえ、使わせてもらえませんか?」
え、結局打つの、と問えば、違いますと首を振られた。訳がわからない。
「実は、商品のひとつとして白衣型のコートを作ろうという案がありまして……」
「え、なんで?」
「だって売れそうじゃないですか、主に信者さんに。で、ルック先生は普段メスを持ち歩いてるって噂を聞いたことがあったので、メス型カッターも作ろうと思ってるんです。でもそうしたら、やっぱりササライさんのも作りたくなるじゃないですか。注射器型の万年筆とか売ってもいいですか?」
「別にいいけど……。君はうちの信者になにをさせたいのかな?コスプレ?」
「僕はハルモニア教徒が何をしようと構いません、商品を買ってくださるのなら!」
なかなか清々しい宣言である。そういうことか、とササライは納得した。おそらくハルモニア側の担当者から、自分たちの許可を得なければ承諾できない、とでも言われたのだろう。
「もうルックのOKは貰ったの?すごく嫌がりそうだけど」
「え?いえいいんです、ルック先生は。嫌がってくださるのなら成功です」
「相変わらず君たちは外科を目の敵にしているなあ」
メス型カッタ―なんて小学生の玩具のようなものを思い付いたのは嫌がらせの一環なのだろう。ササライの方がボールペンでなく万年筆なのは、おそらくトーマスが気を使った結果だ。方向性は間違えているにせよ。
「他にはどんなものがあるんだい?」
「ええと、デフォルメユーバーと魚人スーツ柄のブランケットとかですね」
「うわあ、それいいね。キリルさんに送ってあげてよ」
「でも魚人に関する商品の開発についてはGUNTOに掛けあわないとならないので、まだ未定なんです」
「あ、そっか。じゃあ試作品を作って見せてあげるといいよ」
わかりました、とトーマスは朗らかに返事をする。彼が持つこの従順さと押しの強さこそが、潰れかけたビュッデヒュッケ・デパートを持ち直させた秘訣である。
百貨店としてどうかな、と思うところは多々あれど、ササライはここをそれなりに気に入っていた。スイーツショップが立ち並ぶ隣で突然トマトの叩き売りを始めたり、明らかに共謀している宝くじ売り場と占い部屋があったり、えらく大雑把な管理のコインロッカーがあったりするけれど、それはそれでありかな、と思うのだ。ハルモニアとは異なる価値観を持つ彼らを眺めているのはなかなか面白い。
「ただ……。そうだね、ひとつ言うとしたら」
「え?」
「このデパート、立てこもりには向かないよね」
「デパートジャックでもする気ですかササライさん」
いくらお得意様でもそれはちょっと、と慌てるトーマスに、ササライは穏やかに微笑んで見せたのだった。
ビュッデヒュッケ・デパートにはロリコンの宝石店員や和服のエレベータガールがいる他、競馬場に直通しています。