空気が澱んでいる。
 ひどく息苦しい、とゼラセは眉を顰めた。突然入院することになった病院の一室でのことだ。
 希望通りに個室を用意され、かなり上層階にあるそこに通された。おそらくは自分の名がメディアで売れていることが原因だろう。しかしこの部屋は近くに殆ど人がいないにも関わらず、何かの視線や気配といった重苦しいものが纏わりつくのだ。なにかがおかしい。
 ゼラセは霊能者という職で生活している。霊と呼ばれるものを見ることは出来るが、退治することは出来ない。それでもちょっとテレビに出て、あそこにいる、と伝えるだけで稼ぐことが出来るのだから、なかなか良い商売だと考えていた。本気でたちの悪そうな仕事は断るし、所属する事務所の社長はそれを咎めない。
「……いつまでここにいる必要があるのです」
 ベッドの傍らに立つ、診察を終えた年若い担当医を見上げる。仏頂面ですけど腕は確かですよ、と看護師に耳打ちされた医師だ。愛想という言葉を知らないかのような青年は淡々と答えた。
「一週間くらいで出られるだろうね。虫垂炎、ただの盲腸だ」
「それほど長くここに居ろと?」
 冗談ではない、とゼラセは思う。こんなところに一週間も。部屋を移したとしても変わらないだろう、この息苦しさはおそらく辺り一帯のものだ。
「……まあ、あんたにはつらいだろうけど、それでもここにしてやっただけ感謝しなよ」
「個室云々の問題ではありません、」
「わかってるよ。それでもここはまだ、マシな方だ」
 ゼラセの言葉を遮ってそう釈明する医師を訝しげに見詰める。面倒臭い、と顔に書いたまま彼は窓辺に寄り、窓を開けた。接客業には向かない青年だ。
「ハルモニアってのは、どこに行っても空気が重い。病院とか学校とか宗教施設とか、そういったものばかり集まってるんだから。恨むならうちの病院を選んだ自分を恨むんだね」
「……慌てた知り合いに運ばれたのです、ここが一番近いからと」
「あっそ。ま、耐えなよ。たかだか一週間だ」
 そう言って医師は部屋の隅にちらりと視線を投げた。そこはゼラセも先程から気になっていた場所だ。
 同じなのだ、とゼラセは悟った。彼もまた、わかるのだと。みえるのだと。
「……なんて愚かしい」
「は?」
「あれらの存在を知覚しながらこんなところに勤めるなど」
「……ああ」
 あんたには関係ないだろう、医師はそう告げる。その通りであった。ゼラセは文句を言ったつもりなどない、只感想を述べただけだ。
「僕にしてみれば、わざわざテレビに出て知らしめるあんたの意図の方が知れないよ」
「割の良い職業ですから」
「……あんた、レックナートさまの知り合いかなんかだろう」
 思わぬところで知人の名を聞いてゼラセは眉を寄せた。少し考えてから、納得して首肯する。だから彼の周りには、静謐な空気の残滓があるのだ。
「そういえば、随分前に弟子を取ったと聞きましたね」
 やっぱり、と医師は左手で顔を押さえた。患者にも師匠にも遠慮がないらしい彼は、碌でもない、と低く呟く。
「うちの塔に来たりしないでよ。今は患者だから良いけど、僕、あんたはなんだかもてなそうという気にならない」
「今ももてなされていませんが。まあ、私もあなたに関しては罵る言葉しか思いつきません」
「あんたが罵らない人間なんて108人にひとりくらいしかいないって馬鹿王子が言ってたよ」
「うちの社長と知り合いでしたか」
「不本意なことにね」
 そう言い捨てて、医師は足早に部屋を出て行った。社長の話が出た時の、人間の典型的な行動パターンだ。
 医師が開け放ったままの窓に視線を向ければ、銀色の屋根が目に飛び込んでくる。彼が不適合な職場で働く理由を暇つぶしに考えながら、無駄に壮麗なその神殿が反射する光を受け止めた。
 矢張り空気は、どこまでも澱んでいる。ゼラセはそっと、瞑目した。




108分の1は、多分ジーンさんとかです。