港町、エストライズ。ファレナの海の玄関口であるこの町は、群島の近さを思わせる陽気で開放的な空気に満ちていた。会議を終えたソレイユは商店街を冷やかしながら港へ向かい、そこかしこで投げられる挨拶に笑みを返す。灯台までたどり着いて、見慣れない服装の少年が釣り糸を垂らしていることに気が付いた。
「調子はどうだい?」
 声を掛ければ少年が振り仰ぐ。黒髪に黒目。ファレナの生まれではないな、と考えながらソレイユは辺りに目を走らせる。釣果を示す入れ物が見あたらないのだ。
「ああ……すまない。考え事をしていただけで、釣りをしていた訳ではないんだ」
 そう言って少年は釣り竿を上げてみせる。成る程糸の先には針が付いておらず、用を成さないそれはただのポーズであるようだった。
 見た目よりも大人びた雰囲気で話す少年に興味を引かれ、ソレイユは彼の隣に腰を下ろす。少年は不思議そうにひとつ瞬いた。
「……エセ釣りは禁止だったかい?」
「いいや? 君の視点からは何が見えるのかな、と思ってね」
 目の前には広大な海が広がる。この海は群島諸国へと繋がるが、ニルバもオベルもここからでは影一つ見えない。ただただ広がる海の上には、いくつかの船が点在しているだけだ。
「君は赤月帝国の人?」
 問いかければ、少年は少し驚いたようだった。
「ああ、赤月の出身だ。……わかるものか?」
「なんとなくね。僕の知り合いの赤月の人に、空気が似ていたものだから」
「そうか。今はトラン国民だけれどね」
「ああ……。失礼」
 少し前に起こった政変を思い出し謝罪したソレイユに、いや、と少年は首を振って応えた。
「ファレナには、観光で?」
 尋ねながら、違うだろうな、とソレイユは思う。彼の纏う雰囲気は観光とは程多かったし、そもそも彼はファレナを楽しんでくれる人間には思えなかった。大河のごとき慈愛と、太陽のごとき威光を。あまねく示されたらきっと、眩しさに目を瞑ってしまいそうに見えたのだ。
「いや……。なんて言えばいいのかな。本当は、群島に行くつもりだったんだ」
「通り過ぎてるよ?」
「わかってる。だけど群島は今の僕はちょっと刺激が強すぎた。あそこに留まったら、溺れてしまいそうだと思ったんだ」
 だから、ここから眺めることにした。その比喩が何を指すのかはわからないが、ソレイユにしては珍しく、返す言葉を探しあぐねる。だから直接それには触れず、彼の懐から覗く鉄笛に話を移した。
「君は、楽器を?」
「え? ああ、これか……。いや、友人の形見でね、僕にはまだ吹けない。いつか群島で吹いてやれたらな、と思うけど」
 そう言って取り出した鉄笛をいとおしそうに眺める仕草に、大まかな状況をソレイユは察する。
 戦乱で、大切な人を失ったのだろう。その痛みをソレイユは知っている。だからこそ、未だ群島に留まれないという彼の心を、この国の太陽が少しでも癒せれば良いと願う。
「そっか。邪魔してごめんね、ゆっくりしていって」
「ああ、ありがとう。王兄殿下」
「……知ってたの?」
 気まずげに問えば、少年はいたずらっぽく口の端を上げた。わからないと思ったのか、と見上げる表情は年相応で、少しだけソレイユは嬉しくなった。
「王族服を着ておいて、知ってたも何もないだろう」
「外国の人ならわからないかと思ったんだよ。詳しいね?」
「ファレナは初めてじゃなんだ」
 昔、父と来たことがある。そう告げる少年の瞳は少し翳りを帯びていた。
「じゃあ、また来てくれ。いつだって、何度だって」
「……ああ、そうだな。まだ僕はこの国に慣れないけど、いつか」
 この国で笑えるようになったら、また来るよ。
 その言葉に破顔して、立ち上がったソレイユはバンダナを巻いた少年の頭に手を乗せる。
 約束をしたかった。哀しい色を瞳に隠す少年と、未来の約束をしたかった。だからソレイユは一言だけ告げてから、少年の頭をぽんぽんと撫でた。


「またいつか、会おう」