ぎい、と音を立てて研究室の扉を開く。視界に飛び込んできた大木の根元、白いローブの後ろ姿にレネフェリアスは目を細めた。やっぱりここにいたんだね、そう呟けば白髪の少年はくるりと振り向いて意味深に微笑んでみせる。
「クレイオンの協力を取り付けたんだって?」
「耳が早いね」
「君は手が早いなあ」
「誤解を招く表現はやめてくれないかな」
レネフェリアスが近付けば、ゼフォンは手近な長椅子に片足を立てて腰を下ろした。右膝を抱え込むようにして少年はことりと首を傾げる。
「なにか用? 忙しい君が、ひとりでこんなところに来るなんて」
「君にクレイオンのことを伝えようと思ったのだけれどね。必要なかったようだ」
「よく了承したねえ、あの陰険男が」
「はは、彼も同じことを言っていたよ。あの自己中なガキが、ってね」
「なんでそれをボクに伝えちゃうのかな君は……」
ごめんね? 笑いながら言えば、誠意が足りない、と唇を尖らせる。そんな他愛のないやりとりが嬉しくて、レネフェリアスは小さな笑みを零した。冗談を交わせる相手など、もう幾人もいないのだ。
日を追うごとに人々が消えていく。そんな時代を生きていた。……そんな時代に、してしまった。
テラスファルマを生み出したのはレネフェリアスではない。けれど帝国に属し、その研究の一端を担っていたのは己もゼフォンも同じである。帝国から遠く離れたこの地に自分たちが住まうのは、研究対象たる時代樹が存在するからに他ならなかった。
「それで、いつ? ボクにも準備ってものがあるんだけど」
「三日後に。クレイオンは他の宿星たちに会ってから来るそうだ」
「宿星、ねえ」
僕は、君たちを許さない。そう告げたクレイオンの怒りを、レネフェリアスはまっすぐに受け止めた。きっとこれから己は賛美されるであろう。この選択を誰からも咎められぬであろう。本当は、怒りを以て断罪されるべき行いなのだ。けれどそうすることのできる者は、じきにこの世界からいなくなってしまう。
「――彼の音楽は、二度と誰をも癒すことができない」
「……なに?」
「クレイオンが、力の代償に失ったものだよ」
「……ふうん」
「私の身体の変化は知っているね?」
「そりゃあね。君が自分で言ったんじゃないか」
「教えてくれ、ゼフォン。……君は、何を失ったんだ」
ゼフォンの隣に腰を下ろしたレネフェリアスの肩に、僅かな重みが掛かる。
「言う必要があるかなあ」
「私は知りたい」
「……正直なところ、ボクは大事な人なんて悉く亡くしたし、この世界に未練なんてあんまりないんだ。でも、ボクらが生み出した化物にボクらの世界が滅ぼされる、ってのは気持ちのいいものじゃないしね」
だから、何をすべきかなってずっと考えてたんだけど、と彼は続ける。彼の視線は大木に向けられていた。
「……ボクは君と同じだけの責任を持つよ」
「……? どういう、」
「ボクは、テラスファルマを消滅させるまで、死ねない」
「……ゼフォン」
「そんな風に体を作り変えた。……ね、君と同じだろ?」
そう言って友が己を見上げた、この瞬間の感情を何と表現するべきだろうか。
絶望、の様でもあった。彼にそんな選択をさせたかった訳ではない。安堵、かもしれない。自分たちの得た力ならば、結界の作成は成功するだろう。けれど一番近いのはきっと、歓喜だ。
孤独を覚悟していた。だが、それを望んでなどいないのだ。
そんなレネフェリアスの胸中を知ってか知らずか、ゼフォンは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「死ぬときは一緒だよ、なんてロマンチックだと思わない?」