彼女のことが気になったというのはまあ、あながちハズレでもない。
 自分の境遇に似ていたし、あの気の強さは嫌いではないし、何よりも――

 世界でいちばん大切な幼馴染に、良く似ていたからだ。



「ちゃんと飲んでるの?折角のおじいちゃんのワインなんだから、飲まなきゃ帰してあげないわよ」
 火照った体をベランダで涼めている沢木に、底の広いグラスと瓶のままのワインを抱えて話しかけてきたのはマリーだ。ちらりと室内に目をやると、長谷川はうっかり飲んだワインで酔っているようだ。意味ありげな視線を送ってくる美里と川浜は申し訳ないけれど無視することにして、沢木はマリーの注ぐシャルドネをグラスに受ける。
「飲んでるよ…。つかこれ以上飲んだら明日起きれなさそう」
「いいじゃない、どうせ空港までは運転してあげるんだから。朝は叩き起こしておげるわよ」
「勘弁してください…」
 項垂れる沢木に、マリーはハハッと笑う。本当に勘弁してほしいと思う、だってそれは蛍の笑い方だ。
「なによその反応…。ホームシックな訳?日本の恋人が恋しいの?」
「はあっ?」
「聞いたわよ、あたしそっくりの恋人がいるんですって?道理で最初から馴れ馴れしかったわ」
「違うって…。確かに激似の幼馴染はいるけどさ、彼女なんかじゃねえよ」
「ふうん?彼らはそうは言ってなかったけどね」
 マリーは笑みを浮かべて室内の美里と川浜をついっと見遣る。
「まあいいわ、追及は勘弁してあげる」
「そりゃどうも…」
 本当に、彼女などではないのだけれど。彼は今でこそあの格好をしているけれど、どんな格好をしていようと沢木にとって彼は一番大切な親友だ。それ以下にはなりえないし、それ以上にもなりえないと思っている。
 …思うことにしている。
 だって蛍だ。菌が見えるなんていう沢木と18年間ずっと一緒にいてくれた、度量の広い友人だ。だからこそ、外見の変化だけで彼との距離を変えることなどしたくない。彼がそうしてくれたように、どんな格好でも何を言っていても、変わらぬ距離で彼を受け入れたいのだ。

 だから、時折胸で疼くこの想いはきっと、恋なんかじゃない。

「…辛気臭いわね!なんなのよ、お祝いだってのに」
「あ、ワリ」
「謝ってほしい訳じゃないのよ。どうしたのかって聞いてるの、一応あんたは恩人だから」
 そう言ってマリーはグラスを呷る。沢木もそれに倣ってグラスを空けると、どこに持っていたのか、ピノ・ノワールを注がれた。そして彼女は自分のグラスに注いだそれを含んで、満足そうにふふんと笑う。その笑みがあまりに華やかで綺麗だったから、沢木はそっと目を逸らす。
 本当に、駄目なのだ。彼女と居ると、彼のことばかり意識する。
「…あのさ」
「ん?」
「好きになっちゃいけない相手を好きになりそうだったら、どうする?」
「ハァ?」
 突然の問いにマリーは思いきり眉をひそめる。
「なによそれ、妹に恋でもしてるわけ?」
「いや妹はいねえけど…」
「なんなのよ回りくどいわね煮え切らないわね!」
「難しい日本語知ってんな」
「話を逸らさない!」
「ハイ…」
 正座でもさせられそうな剣幕に、思わず沢木は縮こまる。
「やっぱり勘弁なんかしないわよ!人のウチ掻きまわしたくせにまあそれは結果オーライだから許すとしても自分はウダウダしてるんじゃないわよ何様のつもり?好きになっちゃいけない人って何よ、しちゃいけない恋って何よ!あたしは自分が決めたタブーを破って正直に前進したのよ、あんたもそれを勧めたでしょうよ!長谷川さんだって頑張ったじゃない!なにあんただけ逃げてるのよ!」
「イヤちょっと、いろいろあって…」
「誰だってイロイロあるわよ!」
 マリーはがちゃんと音を立ててグラスをテーブルに置き、据わった目で沢木を睨みつける。
「話はサッパリ見えないけど相手はその幼馴染でいいのね?他の3人も知ってる子なのね?」
「まあ、そうです…」
「だったら話は早いわ、あたしが引っ掻きまわしてあげるわよ」
「へ?」
 言うなりマリーは両手を沢木の両頬に当てて、そのままぐいっと沢木を引っ張り、
 あの時の蛍と同じ表情で唇を合わせた。

「…っ!」

 目を剥いた沢木が慌ててマリーを引き離そうとすると、彼女は最後にぺろっと沢木の唇を舐めてからあっさりと離れる。それからニヤリと笑ってのたまうのだ。
「日本に帰ってからが楽しみね」
 はっとして室内を振り返ると、案の定、こちらを見ていたらしい美里と川浜、長谷川が目を見開いたまま硬直している。このあとの質問攻めを予期して沢木は項垂れた。
「うわあ…」
「失礼ね、可愛い女の子にキスされといて」
「いやいやいや…振りまわすつもりしかないくせに…」
「フン、コッチだけ掻きまわしといて自分は逃げ続けようなんて、そんなの許さないわよ」
 後はアイツらが騒ぎ立ててくれるでしょ、そう言ってマリーは置いたグラスに手を伸ばす。

「日本にいる、あたしそっくりの恋人候補に乾杯!」

 グラスを掲げた彼女の笑顔は、沢木のよく知る幼馴染のそれにやっぱりよく似ていた。