「ごめんねレイア。遅くなっちゃって……」
「ほんとだよ! 負傷した幼なじみを放っておいて男に走るってどういうことなの?」
「レイア、言い方……」
 苦笑しながら治癒効を掛けるジュードに大人しく手当を施されながら、レイアは拗ねたように頬を膨らませる。
 ハ・ミルの小屋で、ベッドに横になったレイアの肩口の傷にジュードがそっと触れる。精霊術によって塞がったそれに安堵するような息を吐き、貫通してて良かった、と彼は小さく口にした。
「良くないよお。ひどいんだから、ジュードもアルヴィン君も。事の重大さがわかってるの?」
「うん、わかってる。レイアが生きてて、ほんとに良かった」
 そう言って心底嬉しそうに微笑むジュードを見て、ひどいなあ、とレイアは思う。ミラが死んでからというもの、レイアはひたすらにジュードを想い、心配 し、ずっと傍で世話を焼いてきた。けれどもジュードがこの笑顔を取り戻したのは、レイアではなくミラとアルヴィンのおかげなのだ。
「別に、いいんだけどさ……」
「なにが?」
「こっちの話!」
 ぷうっと膨れたレイアを不思議そうにジュードは見つめ、それからくすりと笑ってレイアの頬をひとさし指で突っついた。ぷすっと間抜けな音がして、ジュードは肩を震わせる。
「ひっどーい……!」
「ご、ごめ……。っ、だってレイア、変わんなくて」
 いっつもそうやって膨れるよね、なんて笑うジュードが憎らしい。ル・ロンドにいたころはいつだって、彼の手を引くのはレイアだった。ジュードの新しい一 面を知るのは、いつだってレイアが最初だった。けれど旅に同行してからこちら、レイアは知らないジュードを見つけてばかりだ。そしてそんなジュードを仲間 たちがすんなりと受け入れていることが少し、否、とても悔しくて仕方ない。
 ねえジュード、いつのまにそんな、大人になっちゃったの。
 黙ってしまったレイアを、金色の瞳がぱちぱちと瞬きながらのぞき込む。なにそのあざとい仕草、となんとなく負けたような気持ちになりながら、彼の頬をむにっと摘む。
「いた、なにするの、レイア」
「ジュードのバホ」
「は? なにが?」
 レイアの右手を外し、痛いんだけど、と頬をさするジュードを眺め、好きなんだよ、と呟いた。きょとんとしたジュードは続きを促すように首を傾げる。
「私、ジュードのこと、大好きなんだよ」
 二回目の言葉の意味を過たず受け取ったジュードは、つり気味の瞳をいったん見開き、それから困ったように微笑んだ。
「僕も、レイアのことが大好きだよ」
 好き、の意味が異なることを互いに理解していた。その上でそんなことを告げるジュードが恨めしくて、ばか、とレイアは声を漏らす。ぽろりとこぼれた涙をジュードの親指が拭った。
「ジュードはひどいよ」
「うん。ごめんね」
「ぜんぶ、わかってるくせに」
「ごめんね。でも、僕もレイアのこと、大好きなんだよ」
「知ってるよばか!」
 一度泣いてしまえばもう、止めることなどできなかった。緩んだ涙腺にあわてたのはジュードで、はれちゃうよ、なんてどうでもいいことを心配している。
「じゃあ冷やしてよ。私がぶさいくになったら、ジュードのせいなんだから」
「はいはい」
 ジュードは治療のために用意していた冷水にタオルを浸し、堅く絞ってレイアの瞼の上に載せる。ひんやりとした重みが心地よくてレイアは安堵した。これ以上、泣き顔を彼に見られずに済む。
 そう思ったレイアの頭を、ジュードの掌が緩やかに撫でる。やさしい手つきに、きゅっと唇を噛みしめる。
 ジュードの掌がこんなに大きくなっていたことを知らなかった。こんなにあたたかく人に触れることができるなんて知らなかった。ジュードはもう、レイアに手を引かれていた子供ではなくて、そして彼をそんな風に変えたのはレイアではないのだ。彼が守ろうとしたものも、救おうとしたものも、決してレイアではないのだ。
 冷えたタオルの上から両手で顔を覆う。怪我してるんだから動かないで、と医者の卵は咎めるように口にする。
「ジュード」
「なに?」
「私、きっとアルヴィン君を許すよ」
「……そっか」
 愛おしかった。昔のままの優しいジュードも、変わってしまった優しいジュードも、同じように愛おしかった。彼の弱さも強さも、同じように愛しているのだから仕様がない。
「僕は、きっと許さないな」
「……ジュードは優しすぎるよ」
「ごめんね」
 瞼の上のタオルをジュードに手渡す。ちゃぽんと音を立てたのを聞き届け、レイアは半身をゆっくりと起こした。
「ちょっとレイア、なにやってるの!」
「ねえジュード、ぎゅってして」
「……レイア?」
「ぎゅーって。昔、私がジュードにやってあげたみたいにさ」
 ジュードは肩の傷を見て逡巡したが、諦めたように息を吐き、繊細に腕を回す。傷口に力が加わらないように気をつけて、それからぎゅうっと抱き締めた。
「……ジュード、大きくなったなあ」
「そりゃあね」
「ジュードのくせに、生意気」
「なにそれ」
 瞼の奥があつくてどうしようもない。ゆっくりとあやすように背中を撫でられたら、涙なんか止まらない。
「ねえジュード」
「なに?」
「大好きだよ」
「……ありがとう」
 この体温を覚えておこうと思った。ジュードの優しい体温を、いつまでも覚えておこうと思った。
 愛した人に愛されることがどれだけ難しいかなんて知っている。初恋は実らないなんて言葉は飽きるほど聞いた。

 だけどそれでも、実らない恋の終わらせ方なんて、わからないから。