大地讃頌 サンプル


 ササライは、必死になる、ということに縁がなかった。失うものがないからである。
 両親の顔は覚えていない。神官将の地位は努力して得たわけでもない。さしたるプライドも持たず、衣食住にも頓着しないササライにとって、必死になってまで得るものも守るものもない。正直なところ、たとえ三等市民になろうとも国外追放になろうとも、まあなんとか生きていけるんじゃないかな、と考えている。部下には目を剥いて否定されたが。
 ササライが唯一自分のものだと思っているのは右手に宿る紋章のみだ。表向きこそハルモニア神聖国から貸与されているものだが、己が生まれたときから右手にあったというそれは、ササライの体の一部と言って良いほどにしっくりと馴染んでいる。この紋章だけは己を裏切らないだろうとなんとなく感じていたし、この紋章が外れるときは己が死ぬときだろうとなんとなく悟っていた。故に、紋章の喪失を恐れたこともない。
 つまりササライの人生とは、大体がところ受動的であった。神官将になれと言われたならば拝命し、隣国の戦争の援軍に行けと言われたならば参戦し、真の紋章を狩れと言われたならば狩りに行く。そうやって生きていくことに、何の不満も抱いていなかった。
 そうやって永遠にも近しい時を生きていくのだろうと、思っていた。



***


「宿星戦争って、一体何なんだい?」
 何を突然。フッチがそう思うのも無理はなかった。なにせ初対面である。城のエレベーターから出てきたササライと偶然出会って、目が合った途端、挨拶すらなくこの言葉。この失礼さはハルモニア・ルールだろうかそれとも血筋だろうか、と古い知り合いである風使いを思い出したところでササライが再び口を開いた。
「君が竜騎士のフッチだろう。宿星戦争のプロフェッショナルだと聞いているよ」
 誰に聞いたんだよ、という突っ込みをフッチはかろうじて呑みこんだ。相手が無礼だからといってこちらまで礼を失してはならない。ハンフリーの教えである。
「ええと……。確かに僕は過去に宿星戦争を経験しています。けれど、詳しいかと言ったら疑問ですよ」
 僕はこのままこの目立つ場所で話しこまなきゃならないんだろうか、と助けを求めるようにビッキーの定位置を見遣ったが、昔馴染みの少女は鏡の前で立ったまま爆睡していた。器用なものである。そういえば今ビッキーは冬眠中だった、とずれた感想を抱きながらフッチはササライに向き直る。
「そうなのかい? 実はハルモニアにいた頃にも知人に同じ質問をしたことがあるのだけれど、要領を得なくてね。少しでも知っていることがあれば、教えてくれないか」
「はあ……。因みに、その方はなんて答えたんですか?」
「ぴかぴか光っているもの、だそうだ」
 その知人とやらが誰なのかフッチはもの凄く気になった。過去の戦争仲間でササライと縁がありそうな人物といえば、クライブくらいしか思い浮かばない。もしかしてヒカリ攻撃がそんなに印象的だったのだろうか、そういえばクライブで思い出したけれど今回ガウさんはコボルトダンスを踊ってはくれないのだろうか……。
 余談だが、ササライが宿星戦争について問うた人物とはクライブではなくキャザリーであり、彼女の宿星戦争に対する印象は王族オーラと黎明の紋章とラスボスの後頭部とが一体になっているものだった。残念が過ぎる。





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