ドゴォ、と腰に強い衝撃を感じて謙也は振り返る。見遣れば、跳び蹴りをかましてきた後輩が般若のような顔でこちらを睨み付けている。対青学戦が終わったばかりのアリーナでの出来事だ。罵倒されるとは思っとったけど、こんなに早いとは思うてへんかったでえ……。思わず謙也が呻けば、あんたにスピード教わりましてん、と悪びれずに財前は答えた。可愛くない後輩である。
「で? 謙也さん、何か言い訳したいことはありますか」
「……あらへんで。俺は間違うたことしたとは思ってへん」
唇を噛み締めて後輩を見下ろせば、そらそやろな、と肯定が返ってきて目を剥く。そんな謙也を心底蔑むような視線で見上げ、財前は吐き捨てた。そんな顔はさせたなかったなあ、と謙也の胸はちくりと痛む。
「あんたは別に間違うてへん。俺らより千歳先輩のが強いし、あんたより俺のが強い。やからあの状況であんたが千歳先輩に譲ったことは構わんねん、それが四天宝寺や。そやけど、なんで俺に言わんの。あんたは俺に話すべきだったんとちゃうの。それが筋っちゅーもんやろ。俺が止めると思うた? めんどいことなると思うた?」
真っ直ぐな糾弾に謙也は言葉を探しあぐねる。財前の指摘は概ね正しく、けれども少し的外れだ。謙也は財前を面倒だと思った訳ではない。誰にも邪魔されたくないと思っただけだ。最後の試合になる謙也に、万が一にでも、財前が譲ることがあってはいけないと思っただけだ。
四天宝寺のダブルスは変則的だ。全員がシングルスプレイヤーでありダブルスプレイヤーでもある四天宝寺では、基本的にペアは固定されていない。アミダで決めたりオサムの気分で決められたりで(扱いは競馬と同じだ)、練習試合を含めれば、レギュラーメンバはほぼ全員互いにダブルスを組んだことがある。それでも勿論相性の良い組み合わせは存在して、小春とユウジがその最たる例である。謙也は比較的誰とでもうまくかみ合う方だったが、最も呼吸が合うのは財前とのダブルスだった。それは彼にとっても同じで、だからこそ自分たちは全国大会の準決勝でD1に選ばれた。
「……あんたは今まで、俺と何をしてたつもりなん?」
ダブルスだった。ダブルスパートナーだと、互いに信じていた。それでも譲れないものがあっただけだ。
「勝ちたかったんや」
終わらせたくなかった。勝率を1%でも上げて、前に進みたかった。負けたくなかった。
この夏を、まだ、終わらせたくなかった。
「……っちゅー内容で財前が謙也をシメたって聞いたとき、俺は思ったんや。……財前、大人になったなあ……」
「……っなんでやねん! 意味わからへん、まず俺の言葉を一言一句違えずあんたに伝えた謙也さんがわからへん。そしてそれを完璧に覚えた上このタイミングで暴露するあんたはもっとわからへん……!」
深夜の合宿所で財前のツッコミが響き渡る。両手で顔を覆って突っ伏さないだけ彼のメンタルはたくましかった。時はU-17合宿、場所は205号室。メンバーは実に四天宝寺オールスターであった。
「そもそもなんであんたら俺の部屋に集まっとるんです?」
「そら財前……。このメンツで集まった場合、逃げる可能性があるのはおまえだけやからや。千歳と金ちゃんは捕まらへんことならようあるけど、集まったあとは別に逃げへんし。気付いとらんのか財前、四天宝寺でツンデレは、ってかツン成分が含まれとるのはおまえくらいやで?」
「俺はツンデレとちゃいます。ツンデレってのはもっとこう……!」
「光ぅ、その話長なる?」
「任しとき金太郎。一時間もあれば充分や」
「長いわアホ!」
謙也の手刀をひょいと避け、財前は自分のベッドの上で壁に凭れるように座る。白石たちに帰る気がない以上、少しでも収まりの良い場所を探すことが賢明だ。人口密度がとんだことである上に、うち二人は千歳と銀という大男である。二段ベッドの下の段である財前と日吉のベッド、それからその間の床に8人がひしめき合う図は正直気持ち悪かった。
「……で、白石はホンマになんで俺ら集めたん?」
「よう聞いてくれたでユウジ! 俺はな、立海の切原くんを脱色したときに思ったんや。あ、俺らにもこういう、全力でぶつかり合う機会が必要やったな……、って」
脱色って……と呆れる謙也たち負け組に対し、確かにあれは脱色だった……と千歳と銀の勝ち組コンビは重々しく頷いた。この時実は初めからベッドの上段にいた赤也は、自分の精神的なアレコレをよりにもよって白石にブリーチ扱いされたことに愕然とし、けれども5秒後にはそれはそれで、とエクスタっていた。立海の風土と白石の良くない影響のマッチングである。
「でも蔵リン、それは良い発想やと思うけど、ウチらはもう充分やないの? やって全国の後、財前きゅんは謙也クンをシメとったし、蔵リンと千歳クンも殴り合いの喧嘩しよったんやろ?」
「なあ、シメたシメた連呼するのやめへん? 俺かっこわるない?」
「謙也さんがかっこよかったことなんてないっすわあ……」
「白石、千歳と殴り合ったんか!?」
「金ちゃん知らんかったん?」
「3年はテニス部以外も知ってんねんけどなあ。あの派手な喧嘩」
「おん、左腕で殴ってやったでえ」
「あれは痛かったばいね……」
「「……左腕で?」」
毒手(恐)で……!?という金太郎の叫びと、毒手(金)で……!?という財前の驚愕が綺麗に調和した。息の合った道頓堀第一小学校コンビである。こいつらなら俺らが卒業しても割とうまくやってくんやないかなあ、という謙也のアサッテな感慨を余所に、白石はせや、と爽やかに頷いていた。
「俺が本気で苛立ったことを千歳に教えたるにはそれぐらいせんとなあ。せやけど、千歳も反撃したからあいこやで」
「反省してるけん、反撃のつもりはなかったと。ばってん、殴られたら殴り返すのは本能たい。しょんなか」
あんときはすまんかったばいね、と笑いあう千歳と白石だが、千歳の反撃が下駄(6キロ)による回し蹴りであったことを知る謙也はじりじりと後ずさっていた。通常なら救急車レベルの事件である。財前の跳び蹴りとかほんまかわいいもんやった……、と安堵する謙也を見下ろしながら、馬鹿だらけだな……、と頭上の海堂は赤也(ステータス:エクスタ)を隅に追いやりつつ溜息を吐く。
余談だが、白石(完璧)、謙也(医者志望)、小春(IQ200)、千歳(才気煥発)を有する四天宝寺が実は頭脳派軍団であることに気付き、海堂が戦慄するのは翌朝のことである。
「……で、結局白石先輩は何しに来たんです?」
「ああそれな。おまえと謙也のことはまあええんや。言いたいことは伝わったみたいやし、そういうブルー・スプリング的なシメ方嫌いやない」
「やったら最初のアレはただの嫌がらせすか?」
「それよりブルー・スプリングに突っ込まんでええの? ちゅーか跳び蹴りって青春なん?」
「せやけど、俺は千歳に言いたいことがちっとも伝わった気がせえへんねん。やからこの際全員で言ったればええんやないかと思うてな」
「……ここでスルーするから白石はおもろないねん」
「うまい台詞が思い浮かばなかったんとちゃいますかあ」
「……つまり……みんなで千歳はんにこれまで言えんかったことを言ったろう、ってことでええんか?」
「さすがやな銀! その通りや」
「えええー……」
はっきり言ってイジメである。陽性であるだけたちが悪い。
「やって、ぶっちゃけみんなあの退部届には思うところあったやろ?」
「でも白石、驚いてへんかったやん」
「予想の範疇や。けど、予想できても腹立つもんやろが。やから、千歳の退部届に物申したい奴挙手!」
え、ホンマにやんのこれ? イジメちゃう? でもここでノらんのは四天宝寺の名折れやでえ。まあ白石先輩も大分キとるみたいやから一回ガス抜きしといたらええんちゃいます? しょんなかあ、よかごつすったい。悲惨なことになったらあとでフォローしたるからな……。というアイコンタクトを瞬時に済ませた四天っ子は、はーい、と揃って挙手をした。ひいふうみい、と白石が数を数えるジェスチャーをする。千歳は才気煥発で結果を予想しかけて殴られた(左腕で)。
「……なんや、やっぱりおまえらは手ぇ挙げへんのやな」
そう言って白石は後輩二人を見遣る。挙手しているのはオール三年であった。
「せやかて、白石が聞いとんのって千歳の退部届が不満かどうかやろ? 別にテニスは退部してもできるやん!」
そもそも千歳、部員でもそんなに練習来ぃへんかったやん、と金太郎はあっけらかんと告げた。そやなあと頷いてから、やっぱりなあ、と白石は嘆息する。金太郎にとって、テニスプレイヤーは戦って楽しい相手とそうでない人間に分けられる。千歳は彼の好きなプレイヤーの一人だが、千歳が敵か味方か、チームメイトか否か、ということは金太郎にとって何の関係もない。彼にとって大事なのは、千歳と対戦できるかという一点のみだ。
金ちゃんはええ子たいね、そう呟いて千歳は金太郎の頭を撫でる。千歳と金太郎のチーム観は初めから似ていた。あんまり甘やかしたらあかんで、と千歳に告げればわかっとうよ、と返された。ばってん、金ちゃんなら大丈夫たい。
でもおまえはあかんかったやろ、やから今こんなことになっとんやろうが……! と叫びたい気持ちを白石がぐっとこらえれば、傍らの謙也が財前に問い掛ける。
「おまえは千歳に言いたいことないん? 俺をあれだけ罵倒しとったのに?」
「俺がむかついたんは謙也さんだけです。千歳先輩にも白石先輩にも別に言うことあらへん」
「おん。俺、財前に謝る気はないで」
「謙也にはたいぎゃすまんと思っとうよ。ばってん、俺も光くんに謝るつもりはなか」
「当たり前っすわあ。謝られたら跳び蹴りします」
「光は跳び蹴りブームなん?」
「金ちゃん突っ込むとこそこなん? え、わからんの俺だけ?」
疑問符を浮かべる謙也を余所に、白石は緩く笑んだ。財前は己の実力不足を痛感しているからこそ、勝手なプレイをした千歳と財前に沈黙を強要した白石を責めることはしない。彼が責めたのは己で、不満をぶつけたのは謙也で、謝ったのはただ一人、金太郎にだけだ。
堪忍やで。そう告げた財前の表情を、盗み見たことがある。
全国大会準決勝の晩。宿の裏手で、金太郎にそう告げる財前を見かけ、白石はそっと身を隠した。就寝時間になっても部屋に戻ってこない二人を探して出向いたのだが、顔を出す空気ではないと悟ったのだ。
「おまえまで回せんくて、ごめん」
謝るのか、と白石は少し、驚いて瞬く。金太郎に謝るべきは、どう考えたって白石たち3年であるはずだった。負けたD2、勝手にオーダーを変えた謙也、それを許した白石、それでも負けた千歳。なんで財前が謝るん……そう考えて、白石はもう一度驚愕する。
――自分たちは、財前に期待していなかったのか。
白石は財前の才能も努力も認めている。全国でも立派に通用する実力だと誇っている。けれど、D1で財前に何もするなと命じた自分は、彼に何かできるということをこれっぽっちも信じていなかったではないか。
勿論財前も金太郎も、何かできるとは思っていなかっただろう。テニスの実力に関し、彼らは至ってシビアだ。だが、それでも何かしようと思ったのが財前であり――、
「……謝るん?」
「おん」
「…………なら、しゃーないなあ、許したるわあ」
――何かをしてほしいと願ったのが、金太郎なのだ。
金太郎は座ってたドラム缶からひょいと飛び降りると、壁に凭れる財前の前に陣取った。後方にあるベンチの背に後ろ手を預け、いくらか背の高い財前を覗き込むように見上げる。
「次はないで?」
「当たり前やん、次はあらへん。次は、絶対おまえを越前まで回したる。やから、」
「やから、何やのん?」
「おまえはそれまで、四天宝寺のために戦ぃや」
そう言い切った財前に、白石はほうっと息を吐いた。
おまえはそれを、金ちゃんに言うんやな。……俺は、千歳に言えんかったよ。
幾ばくかの羨望を吐息に乗せる。幼馴染だという彼らほど容易に伝え合うことはできないにしても、千歳は白石が一番わかってほしいことを理解してくれなかった。財前はええなあ、と白石は小さく呟く。友達こそ碌におらんけど、俺らがおって、金ちゃんがおる。十二分やん。
金太郎がにいっと笑う。街灯の下で財前はそっと目を細め、多分唇の端を微かに持ち上げた。彼にしては珍しい表情だ。
「ええで。光がワイを戦わせてくれるんなら、ワイは光のために勝ったるでえ」
「アホ。誰が俺のため言うたんや」
「同じことやん。光がそうしたいんやろ?」
「ニュアンスが違うやろが。……ま、ええわ。おまえに意図が伝われば、それで」
「おん!」
「いっこも負けたらあかんで」
「光もな!」
「当然やん」
ああ、こいつは強なるな。白石は小さく笑った。財前は己がまだ強くなれることを知っている。同時に、限界があることもわかっている。それでも貪欲に勝ちを望む彼は限界まで己を鍛えるだろう。そして新しい四天宝寺を率い、二番目に強い相手に勝ち続けるだろう。そんな財前の姿をありありと思い浮かべ、らしい、と白石は思った。それはとても、四天宝寺らしい。
白石は己が勝つことで四天宝寺を導こうとした。一番強い相手に、一番厄介な相手に自ら勝つことでチームの勝利を目指した。白石は自分の歩いてきた道が間違っていたとはこれっぽっちも思わないし、四天宝寺のあるべき姿だったと思っている。けれど、財前の目指すそれもまた、ひどく四天宝寺らしいと思う。
勝ったモン勝ちや。それが全てだ。
コートに立つのは勝ちたい者ではない、勝てる者だ。戦うのは強い者である――だが、部長だけは最も勝ちたい者でなければならない。天才と呼ばれそれを否定しない財前は、けれど届かない壁があることを深く理解している。それでも強く勝ちを望む財前は、四天宝寺を率いる者にふさわしかった。
もう、俺らの時代やないねんなあ。白石は夏の夜を見上げた。次の時代が、動き出している。それを寂しくないと言ったら嘘になる。悔しさがないなんて、言えるわけがない。けれど、それでも夏は終わってしまったのだ。
財前に跳びついた金太郎を視界の端に収め、白石は夏の終わりを実感する。
「あんじょう、よろしゅう!」
――それが、白石の中学テニスの一番最後の光景だ。
……そんな回想をしながらアンニュイな空気を漂わせていたが、入室後から現在に至るまで、白石の装備は一貫して包帯+ビキニパンツのみであった。なんで白石さんは服着ないんだろう、そして四天宝寺は何故誰一人それを気にしないんだろう……。これだから大阪は、と内心で吐き捨てたのは勿論上段に避難中の日吉である。忍足侑士を生んだ地というだけでも理解しがたいのに、チームメイトの糾弾をほぼ全裸で行う土地柄。自由すぎだろ、と呟く彼の中でホームの評価が更に下がったことなど知らない白石は、あほな謙也はおいといて、と話を進めている。
「ほな、ラブルス行ってみよか。好きなだけ千歳に文句言ぃ」
「そやねえ……。ウチらが思うとることは多分、既に蔵リンが言うたと思うけどな。……千歳クン、あかんでえ。何があかんって、蔵リンが怒っとる意味をわかってないのが一番あかん」
「小春に心配かけさすんが一番あかん」
「ウチは正直、千歳くんみたいな選択もアリやて思うよ。けど、ウチの部長は蔵リンやからな。この件に関しては蔵リンの味方したるわ」
「浮気か小春、死なすど! 千歳を!」
「ユウジ、ブレへんな……」
この場合、白石じゃなかと? そう笑ってから千歳は肩を竦めた。
「俺はわかってなかと?」
「わかってへんやろな、とはワシも思うで」
「千歳は自己完結が過ぎんねん。知ろうとする気ないんやなあ、ってのは俺も思うたことあるで」
「銀と謙也に言われるって相当やでえ」
3年生が忌憚なく意見を述べ合う中、財前は携帯でブログを更新し、金太郎はたこ焼きを食べていた(焼き器持参)。ぴろぴろぴろ〜ん、と財前のブログ更新通知を設定している謙也の携帯が鳴り、同時に白石の携帯がブブブと震えた。謙也と白石が財前の頭に手刀をかます傍らで小春は話を続ける。
「なあ千歳クン、自分らが入部してくるまで、ウチのレギュラーは殆ど固定されてたんよ。春になっていっちゃん最初に弾かれたんはケンちゃんや」
「……知っとうよ」
「せやけど、ケンちゃんは一度も不満言うたことないねんで」
自分、何でかわかっとる? そう問い掛ける小春に、千歳は困ったような表情を向けた。
「勝ったモン勝ち、とね?」
「その意味、ホンマにわかっとる?」
そう言われてぱちぱちと瞬いた千歳を、あほやんなあと謙也が笑う。いい加減白石もあほやけどな、とユウジが呆れた。
「千歳はん、白石はんはな……。いやワシらはな、千歳はんが負けたことに後悔なんてあらへんのやで」
そう告げた銀に白石は苦笑するほかない。こいつらみんな、ホンマに俺の思うてることわかっとんのやなあ。わからへんのはおまえだけやで、千歳。
「銀の言う通りや。負けたことに怒ってるんとちゃう。おまえが負けたんはそら残念やし悔しいけど、いっこも不満なんてあらへん」
やって、おまえは四天宝寺のメンバーやん。それを白石が言えないのは、千歳はそう思っていないかもしれないと恐れているからだ。
千歳は来春、熊本に戻ることが決まっている。もともと右目の治療のために大阪に来た千歳にとって、治療の目途がついた今、単身大阪で進学するメリットなどない。病院から話を聞いた両親に戻って来いと言われたと聞いたとき、当然だろうと白石も思った。けれど、さみしなるなあ、そう嘆いた謙也にしょんなかよと返した、千歳の苦笑が気に入らなかった。
なあ千歳、おまえにとって四天宝寺は、ホンマにただの通過点やったんか。
千歳の退部届が彼なりの誠意であったことはわかっている。千歳は自分の実力をわかった上で、「割り込んだ」ことに罪悪感を抱いていた。気は済んだし、自分が抜ければ枠が一人空く。ならばそれを本来のメンバーに返そう――千歳がそう考えたことは想像に難くない。
せやけど、なんで気ィ済んどんねんドアホ。勝ちたいと思わんかったか。橘クンに、手塚クンにだけやなく、不動峰に、青学に勝ちたいと思わんかったか。俺らと勝ちたいとは思わんかったか。俺らがおまえと勝ちたいと願っとるとは思わんかったか。
おまえは強い。だから誰もが認めとんのに、なんでおまえは俺らと同じところを見てへんの。
「……結局みんな、何やっとんのん?」
「ブルー・スプリングやろ。ほっといたらええ」
おん、光にもたこ焼き食わせたろか? いらんわアホ、ベッドの上で食うんやない。ええやん掃除するん光とちゃうし……。そういう問題やない、たこ焼きまみれの布団で寝るとか最悪やん。
フリーダムが過ぎる後輩たちに振り向き、白石はビシッと彼らを右手で指さす。
「最悪なんはおまえらや俺のシリアスタイム返さんかい!」
「返したってもええですけど、もう消灯時間ですやん」
「え、ホンマ?」
慌てて謙也が携帯を開くと消灯時間5分前を指している。えらい尻切れトンボやけど戻らんとあかんでえ、そう告げてくる謙也にしゃーないなあ、と白石は返す。
「ほな、続きは明日な。また夕食後にここに集合やで」
「「やめてください」」
頭上からの他校の後輩たちの制止に白石はきょとんと彼らを仰ぎ、それからゆっくりと苦笑したのだった。
「四天宝寺に来て、良かったち思っとうよ」
U-17合宿から数か月後。三年生の追い出し会と謙也の誕生祝を任された財前が、面倒がって一緒くたに開催した。謙也さん、今日なら相手したりますわあ。そんなことを飄々と告げた財前は金太郎とペアを組み、謙也と銀のダブルスと相対していた。こりゃあ追い出し会にふさわしいなあ、なんて笑いながらフェンスに凭れていた白石の隣で、千歳はふと、白石に告げてみた。彼のぽかんとした表情に、千歳は小さく笑みを零す。
淋しさが日々降り積もっていく。今になってようやく、千歳はその感情を思い知る。夏の終わり、正直なところ千歳は白石たちの悔しさを理解しなかった。四天宝寺は良いチームだ。異邦人の千歳を受け入れてくれた、愛着のあるチームでもある。だがそれでも千歳にとってはたったの半年間、共に過ごしただけのチームでしかなかったのだ。準決勝で千歳が感じた悔しさは、手塚に勝てなかったこと、自らの修練が足りなかったこと、きっともう昔のようにテニスをすることはできないこと……そういう悔しさだ。四天宝寺に対して抱いたのは、申し訳なさでしかない。
けれど、これでもうテニス部員との縁は切れてしまうだろうと思っていた千歳を、白石と謙也は気分転換と称してストリートテニスに誘い、小石川はやんわりと出席率を咎め、銀は時折昼食を共にしようとした。ユウジは突発お笑いライブを仕掛けてきたし、小春は無我の研究の話を聞きに来る。金太郎は千歳を見掛けるたびテニスコートに引きずり込み、それに眉を顰める財前も咎めることはしなかった。
これは、まずい。これは……嬉しい。はじめっから仲間やねん、白石の言葉の意味をじわじわと理解する。こういう気持ちで、彼らは、ずっと。
ほだされるってこげんこつ? そう財前に問い掛けてみれば、彼は呆れ顔で千歳を見上げて言い放った。そういうんは、白石先輩に言うたらええんとちゃいますかあ。
それもそうか、と頷いた千歳は早速行動に移し、今に至る。確かにこれは白石にこそ伝えなければならなかった。こういう気持ちで、はじめからずっと自分をテニスをし続けてくれた彼にこそ伝えなければならなかった。未だ鳩が豆鉄砲を食らったような表情で千歳を見上げる白石に、こみあげてくる笑いを隠さないまま千歳はゆっくりと告げた。
「…………ほんまごつ、嬉しか」