いつもと同じ夏の日の朝だと思った。茹だるような暑さの中で目を覚まして、ロイは腕の中の体温に気付く。昨夜は女性を誘っただろうかと考え、腕に囲った蜂蜜色を見て納得する。昨夜の相手は鋼の錬金術師だ。兄弟は昨日イーストシティに着いたばかりで、前回親しくなったという街の資産家のアードリー翁を訪ねるというところを拉致して食事に誘った。笑顔で見送ってくれた弟は今頃司令部でブレダと談笑していることだろう。眠らない彼はイーストシティに来るたび司令部に泊り込んで宿直の人間と夜を明かす。双方にとってメリットだ。

 ……またやってしまった。

 この子供と夜を共にしたのはもう何度目だろうか。とりあえず、片手では数えられないことは確かだろう。弟に知られたら殺されるだろうか。鎧で本気で殴られることは間違いない。
 駄目な大人だという自覚はある。腕の中の少年はまだ14歳で、女の抱き方すら知らない。そんな子供をベッドに引っ張り込んでカスタマイズしている。己の部下でも知ったら自分を罵るだろう、ひとりの優秀な副官を除いて。
 そう、あの怜悧な美人はこの行為を黙認している。エルリック兄弟贔屓の彼女が何故、と思ったけれど、何のことはない、行為が双方の合意の上だからだ。誤解しないでくれと伝えたと、少年の口からそう聞いた。

「ん……、朝…?」

 少年の声が胸に当たってくすぐったい。まだ寝ぼけている彼の頭を撫でてやって、寝ていて構わないと告げる。仕事のある自分にとってすら、起きるにはまだ少し早い時間だ。
 少年は安心したのか薄く開いた目をまた閉じた。その幼けない動作が可愛らしい、とロイは思った。それはバランスを崩す言葉だから伝えたことなどないけれど。
 自分たちの関係は、薄氷の上に成り立つようなものだ。
 エドワードが己に好意を寄せていることを知っている。保護者ではなく、男として求められていることを知っている。自分が彼に寄せる好意だって認めている。彼の全てが欲しいと望む浅ましい欲を認めている。
 それでも好きだと、愛していると、告げることはできない。
 賢い少年だ。きっとエドワード自身の感情も、ロイの持つ想いも、きちんと理解しているのだろう。それでも彼もその想いをロイに告げたことなどない。
 だから自分たちは世間一般で言う恋人同士などではない。甘い空気も、歯の浮くような台詞も、自分たちにはこれっぽっちも縁のないものなのだ。
 きっと今の自分たちでは、堕ちていくことしかできないだろうから。
 エドワードに何を望まれたところで、ロイは己の野望を第一に考える。彼を優先することなど出来るわけがない。それはエドワードにとっても同様で、たとえロイが傍にいてくれと頼んだところで弟と石を探す旅に出てしまうだろう。互いに最優先など出来やしないのだ。だから想いに触れはしないのだけれど、結局我慢できなくて、こんなことになっている。どうしようもない。

 そこまで考えて、ロイは起きようと体を起こす。眠り続けるエドワードを起こさないようにそっと腕を引き抜いた。
 寝室から出て階下のキッチンに入る。朝は大して食べないが、コーヒーだけは豆から挽いて飲むのがロイの習慣だ。戸棚から豆を取り出してミルにセットし、ごりごりと挽く。それからメーカーに二人分の水を入れてスイッチを入れる。保温にしておけば起きたときに彼が飲むだろう。
 顔を洗って戻ってくるとゴポゴポと音がして、コーヒーが入ったことを知る。愛用のマグカップで飲み始めると、カタ、と小さな音がした。

「…起きたのか」

 エドワードだった。眠そうに目を擦りながら鋼の手で指差してコーヒーを所望する。彼のために用意したマグカップに注いで渡してやると、掠れた声でサンキュと返された。
「寝ていて良かったのに。司令部には午後から顔を出せばいいだろう」
「うるせ、あんたの物音で目が覚めたんだよ。あとコーヒーの匂い」
「それは失礼。寝汚い君のことだから大丈夫だろうと思って油断した」
「黙れ」
 言葉とは裏腹に、エドワードはコーヒーを飲んで穏やかな表情でほうっと息を吐く。
「あんたコーヒー淹れんのはウマいよな。普段あんな泥水ばっか飲んでるくせに」
「司令部のコーヒーが不味いからこそ家ではちゃんと飲みたくなるんだ。あれはあれで私のコーヒーを淹れる技術の上達に一役買った」
「くだんない役だな」
「君ね…コーヒーを返してもらおうか」
「怒んなよ大人げねえな」
「心は少年だからな」
「うわあ…。そーゆーこと言う大人にはロクなのがいないってこないだ宿のおばちゃんが言ってた」
「どうせ君も数年後には同じ台詞を吐くさ」
「嫌な予言すんじゃねえよ…」



 昼には司令部に顔を出すというエドワードを置いてロイは早々に家を出た。
 おはようのキスを出来ない関係を、ほんの少し残念に思いながら。