『俺は!俺が想うまま、俺が望むまま!!邪悪であったぞ!!!』
城は戦勝の宴で華やいでいる。
皆からの感謝と賛辞を受け取ることに少し疲れたアスはそっと城を抜け出して、牧場の裏手、湖を臨む崖に腰を下ろした。
今の気分をどう表して良いのかわからなかった。嬉しい、というのは少し違う。不思議と高揚してもいなかった。多分、ほっとした、というのが一番的確なのだろう。
ありがとうと言われることも、おめでとうと言われることも息苦しかった。だってアスは彼らのために、同盟軍のために戦ったわけではないのだ。
「ジョウイを取り戻したくて、戦っただけなんだけどな……」
その呟きと重なって、遠く、笛の音が聞こえた。城の喧騒が途絶えぬ中、夜闇をするりと切り裂いて澄んだ音が耳に届く。聞いたことのない音の流れだった。
辺りを見回して音源を捜し、湖に浮かぶ一隻の小舟を見付ける。けれども奏者が誰なのかは視認できなくて、思わず身を乗り出す。
「うわっ」
落ちる、と思ってアスは瞬間的に目を閉じた。けれども予想した衝撃は訪れず、代わりに感じる浮遊感に恐る恐る目を開ける。
「何をやってんのさ、君は」
呆れたような声に振り返れば、風の魔術師が木に凭れかかって立っていた。アスは体勢を立て直すと、湖に浮かぶ小舟を指差して彼に尋ねる。
「あれ、誰だかわかる?」
風使いはその問いかけに面倒臭そうな表情を露わにする。それから何も言わず、アスごと穏やかな風にその身を溶かした。
***
「うわ、ちょ、来るなら言えっての。この舟小さいんだから」
意外なようにも思えたし、やっぱり、という気持ちも覚えた。鉄笛を奏でていたのは蜂蜜色の髪をした男だった。突然現れたアスに小舟は揺れ、慌てたシーナは演奏を途切らせる。舟の上に無い魔術師の姿を探すと、彼は近くの岩場で優雅に腰掛けていた。
「シーナが笛を吹いてるのなんて、初めて見たな」
「ん?まーね、なかなかサマになってんだろ?これ以上ファンが増えても困るしー」
「あんたのファンとやらを僕は見たことがないけどね」
突然会話に参加してきたルックに驚くでもなく、シーナは笑って彼を振り返った。
「おまえがここまで来るなんて珍しいじゃん。聴きたいの?」
「……馬鹿じゃない?」
風使いの絶対零度の眼差しをスルーして、隣国の放蕩息子はアスに向けて榛色の瞳を緩めてみせた。
「おまえも聴きたい?」
アスは目だけでひとつ、是と返事をした。シーナは鉄笛を持ち上げて、静かに唇でそれに触れた。
風が笛の音に乗って揺れた。闇がゆらりと纏わりつく。
やはりアスの知らない曲だった。どこか、淋しさを感じさせる曲だった。
***
「その笛、結構古いよね?」
吹き終えたシーナに礼を言ってからアスは尋ねた。まあな、と彼は鉄笛を懐に仕舞う。
「友人の親友の形見ってやつだ。そいつ結構長生きしたみたいだから、多分年代物なんだろうな」
「……なんでそれをシーナが持ってるの?」
「預かってるんだよ。まだ吹けねえんだとさ」
それが技量の問題ではないことはアスにもわかった。ちらりとルックを見遣ると、彼はいつの間にブーツを脱いだのか、裸足の爪先で湖に触れて涼んでいた。僅かに疲れを感じさせるその表情に、今日、彼にかなりの強行軍を強いたことを思い出す。同時に宴で感じていた息苦しさを己がすっかり忘れていたことに気が付いた。
いつも、こうしていたのだろうか。
3年前の隣国の戦争で、彼ら二人が軍主と親しかったことをアスは知っている。しょっちゅう3人で消えていたものだと豪快に笑いながら教えてくれたのはビクトールだ。
何を言うでもなく、何を聞くでもなく。再び笛を吹き始めたシーナと、黙って水面に波紋を描くルックを視界の隅で捉えながら、アスは祖国にいる己の親友を想った。
今、彼の隣にいてくれる人はいるだろうか。
今、彼も落ち付かない夜を過ごしているのだろうか。
今ならもう、彼に会いに行っても良いだろうか。
笛の音は耳に心地よく馴染んだ。今度は知っている曲だった。
懐かしさに、いとしさに、涙腺が緩みそうになった。風が乾かしてくれることを願ってアスは天を仰ぐ。
ねえ、ジョウイ、
今すぐにでも君に会いに行きたいよ。