己が片付けようと思った。彼に二度と、この光景を思い出して欲しくはないから。
「やれやれ、派手にやらかしたなあ」
小高い丘の上に立つ少年は、バンダナとマントを風に翻らせて血に染まった大地を見下ろす。見渡す限りに広がる兵士の骸に眉を少々顰め、右手を翳して生存者の有無を探ってみる。
「しっかしまあ…。威力が増したのか、出し惜しみしてたのか知らないが」
生を持つものが虫一匹たりとも居ないことを悟ると、その徹底さに舌を巻く。
「遺体の帰りを待つ人には悪いと思うがな、どの道判別は不可能だろうし。僕が体ごと頂いて帰る」
そう言って少年は右手の手袋を咥えて外し、その下の包帯を左手でくるくると外す。
「…………我が真なる生と死の紋章よ、あらゆる魂を冥府へと誘え」
広大な大地に突如として闇が訪れる。半球状に広がるそれは束の間全てを覆い隠し、次の瞬間には何事も無かったかのように大地は平穏を取り戻す。
「安らかに、なんざ僕には言えない台詞だけどな。せめてお前たちの死が、来るべき時代の礎にならんことを」
黒髪の少年は静かに黙祷を捧げる。しばらくしてから目を開き、遠くに広がるデュナンの湖を眺めた。
「……潮時かな」
あれはいつのことだったか。星から逃れることなど出来ないのだと告げた風使いの翡翠が脳裏を掠めた。
***
「死体がないだと?」
執務室で報告を受けたシュウは眉を吊り上げた。対するモンドは表情を変えずに報告を続ける。
「魔法の心得のある者の言葉によれば、紋章術によるものだろうとのことでしたが。それ以上はこちらではわかりかねます」
「ルックの魔法の影響ということはあるのか」
「私は詳しくありませんから、何とも」
「…まあいい。あれが起きだしてきたら聞きだすだけだ」
「起きてからでよろしいので?」
「消えた死体よりもこれからの戦の方が重要だ。奴には回復してもらわねば困る」
「承知致しました。では、私は任務に戻ります」
「待て」
俊敏な忍びが去ろうとするのを留めて、シュウは考えるように口を開く。
「リドリー殿を連れ戻す際に、向こうの神官将を見かけなかったか?」
「いえ。……何か?」
「いや…」
「必要があるのなら調査致しますが」
「いや、今のところはいい。もし必要になったら頼むことにしよう」
「…承知。では」
今度こそ忍びは姿を消した。フウ、とシュウは深く嘆息する。
「まったくあのガキめ、次から次へと問題ばかり引き起こす…」
けれども手放せないのも事実だった。会議でも述べたように、現在の新同盟軍で最大の火力を誇るのは件の風使いなのだ。それがたとえ怯えを呼ぼうと軋轢を生もうと、狂皇ルカと対する限り、手元になければ困る存在である。
「…英雄になれない真持ちなんて、厄介なだけだ」
深く息を吐いた。もう一度手の中の報告書に視線を落としてから、それを机の上に放り投げた。
***
「…なんだって?」
人気のない廊下で呼びとめられたシーナは軍師付きの少女をまじまじと見詰める。苛立ったようにアップルは繰り返した。
「だから、ないのよ、死体が。ルックが技を振るった場所には欠片も残ってないわ」
「……それを俺に伝えてどうすんの?特別扱いしてくれんのは嬉しいけど、シュウのことだ、緘口令くらい敷いてんだろ?」
わざと茶化して言えば、思った通り彼女は表情を険しくする。
「その通りよ。だけど…だけど、あなただって思うでしょう。これはあの人の仕業じゃないの?」
「さあてね。なんのことだか」
「ふざけないでよ!」
「でかい声出すなよ、人が来る」
「だったら真面目に答えなさいよ!」
キッと睨み上げるアップルに肩を竦めてみせて、シーナは小さく溜息を吐く。
「おまえが何を言いたいかはわかるよ。だけど俺には本当にそうかはわかんねえし……可能性で言うなら、ルックのお師匠さんだってできんじゃねえのか?まあ、たとえおまえの想像通りだったとしても、おれはあいつを呼んだり探したりするつもりはない」
「どうしてよ!」
アップルは押し殺した声で叫んだ。眼鏡の奥には涙さえ浮かんでいるように思える。
「あなたなら…あなたたちなら呼べるじゃない!こんなに近くにいるかもしれないのよ!?あなただってわかってるでしょう、相手はあのルカ・ブライトなのよ!?アスは頑張ってる!だけどそれでも戦力は多い方が良いに決まってる、ましてやあんなに力のある人なら…!!」
「言うと思った」
「なら、どうして!」
「あいつが『トランの英雄』だからだ」
言い切ったシーナの頬をアップルの右手がぱしんと弾いた。じわりと滲んだ痛みには知らない振りをする。
「おまえに何を言われようと意見を覆す気はねえよ。あいつがすぐ近くにいるとしても、俺らは呼ばない」
「…あなたは変わったわ」
「何が?」
「気に食わない、へらへらしたところは変わらないわ。だけどあなたは完全にトランの人間になってしまった」
「そりゃあね。親父の治める国だからな」
「昔のあなたならそんなこと気にしなかった。どうしてあの人に力を貸したようにはアスに協力してくれないの」
「してんぜ?夜襲にも参加するじゃんか」
「今のあなたはトランのことばかり考えているじゃない」
「だから、それは当り前だっつの。俺はデュナン軍の一員である前に、トラン国民なんだって」
「……もういい!」
アップルはシーナの顔も見ずに走り去る。シーナは熱を持つ左頬に手をやった。
「同じことを『シュウ兄さん』に言ってみろって……」
足早に階段を上る。早くあの風使いの仏頂面を拝みたいと思った。
二人目の英雄など、誰も望んではいないのだ。