「余計なことをしてくれる……」
紋章のざわめきを感じてルックは身を起こした。ベッドヘッドに上半身を預けて、閉めきっていたカーテンを手の届くところまで開く。
開け放したままの窓から夏の風が飛び込んでくる。陽が落ちかけて赤く染まる空を視界に入れる。
かちゃり、と静かにドアノブの回る音がした。よく馴染んだ気配に振り向くことはせず、そのまま空を眺め続ける。テノールの声が耳に優しく届く。
「おう、起きてた?調子はどうよ」
「悪くはない」
シーナは丁寧にドアを閉めると、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。右手を伸ばしてルックの額に触れ、それから首筋に触れ、そして髪をゆっくり撫でた。幼子に対するかのようなその態度にルックは眉を顰める。
「子供扱いはごめんだよ」
「ばーか。俺のがふたつも年上なんだ、例え俺が爺になってもおまえは俺の大事な弟分だよ」
「……あんたのが馬鹿だ」
「はいはい。馬鹿でいいですよっと」
シーナはベッドに片膝を乗せて身を乗り出して、カーテンを全開にした。夕陽が部屋を染める。
「夜襲だ。先鋒がフリック隊、次にビクトール隊、それから大将」
声は念のために顰められていたけれど、近距離で聞きとるには充分だった。そもそもルックは耳が良い。
「僕の出番は」
「俺と一緒にフリック隊。いけるな?」
「愚問」
「そりゃ失礼」
シーナはからりと笑った。それからルックの顔に手を伸ばす。指先が耳に触れて、視線が刺さる。
「…なに?」
「んー……。なあルック、耳、穴開けていい?」
「…はあ?」
「や、ピアスをね、つけたいなと」
そう言ってシーナは自分の耳をちょいちょいと指差した。そこにはアイリーンに持たされたという星の形をしたピアスが嵌まっている。
「僕は守られてやるほど弱くないよ」
「知ってる。どれだけ防御力が底辺だろーと、おまえは強いさ」
「…一言多いよ」
「だからまあ、これは気休めなんだよ。俺のための」
「……あんたのための?」
訝しげに男を見上げる。そう、と笑ってシーナは自分の耳から星のピアスを外す。勝手知ったるとばかりに戸棚から消毒液と裁縫箱を取り出し、ガーゼに滲み込ませて丹念にそれらを拭った。
「…まだ、いいって言ってないんだけど」
「事後承諾」
「本人の前ですることじゃないだろ…」
呆れ顔で言ったけれど、本気で嫌がって無いのは知られているはずだった。証拠にシーナは笑ったままだ。
「おまえは俺に守られるほど弱かないけどさ」
シーナの右手がルックの左耳を探る。ひんやりと針先が触れる。
「おまえがちゃんと自分の身を守れるような最善の努力はしとかないと」
ぶつりと針が耳を貫通した。手つきこそ優しいが行為はひどく荒っぽい。
「あいつに会ったときに俺、胸張れないじゃん?」
そこまで言って彼は小さく呪文を唱えた。左手が触れたところから血が止まる。
「……随分と小器用になったもんだね」
「おかげさまで」
右の耳にも針が通される。続いて同様の処置をされ、彼のピアスを嵌められる。
「よし、オッケ」
満足そうに彼が言うから文句を言うのは差し控えてやった。ベッドから出て立ち上がり、顎をしゃくる。シーナは笑ってルックの着替えをクローゼットから取り出した。
その法衣をばさりと被って、組み紐を手早く結ぶ。それから彼の顔を両手で挟んで風を呼んでやった。旋風の第一魔法を紡ぐのに、ルックは詠唱を必要としない。
「…ばれてた?」
「顔のことなら手形が残ったままだし、会話のことならあんたも知ってるように、僕に距離は関係ない。聞かれたくないなら風の通るところで僕の名前なんか出すんじゃない」
「別に、おまえに聞かれんのは構わないんだけどさ…」
その苦笑がらしくなくて、ルックは目を細めた。シーナの腕が伸びて、正面からルックを抱きすくめる。己の額が彼の肩に当たって、じわりと年月を感じる。
「……ねえ、シーナ」
「ん?」
「一度しか言わないからね」
シーナが不思議そうにするのが気配でわかった。それでも抱きすくめた腕を緩めないのは却って都合が良かった。柄ではないから、顔を見ながらなんて言えそうにもないのだ。
ルックは小さく息を吸った。できるだけ普段と変わらない調子で、けれどもゆっくりと、言葉を紡いだ。
「…僕らは、僕らの一生を掛けて、あんたのつくる国を愛してやる」
言い切って、ふうっと息を吐いた。力が抜けそうになった体をシーナがさっきよりも強く抱き締めた。それは痛みを感じるほどだったけれど、言ったところで離さないのはわかっていたから黙っていた。
「なあ、ルック」
「なにさ」
「俺、おまえらのダチで良かったなあ……」
彼の右手は己の身体をきつく抱き締めたまま、その左手が後頭部を撫でた。心地良い触れ方だったからルックは目を閉じてされるがままになっていた。指先が髪を梳いて風が躍った。
「あと、ちょっとだけこーさせてて」
「……好きにしたら」
部屋を染める夕陽が沈もうとしていた。風が夜の始まりを運ぼうとしている。
彼の吐息が耳朶に触れた。彼の腕の中を、温かいと思った。