城内は慌ただしかった。
風使いは約束を果たした。けれど本隊は、総攻撃を掛けても敵の大将ひとりに敵わなかった。強大な力を前に、兵たちは言葉もなく恐れている。
そこへ飛び込んできた知らせは、かつて共に戦った軍師からのものだった。フリックはこっそりと会議室に集まる面々の表情を盗み見る。
汗をかくのは嫌いだと宣言した風使いはいない。その彼の様子を見に行った隣国の放蕩息子も席を外している。その身勝手さが許せないらしい軍師付きの少女は唇を噛み締め、忍びたちに救い出されたコボルトの長は己の不甲斐無さに静かに怒りを溜めている。青騎士は背筋を伸ばして軍主を見据え、赤騎士は目を閉じて主を案じている。先陣を切った老年の将軍は傷を負った体に鞭打って座し、副軍師は心配そうに父親を見遣る。隣に座る相棒は腕を組んで背もたれに寄りかかり、軍師は何度も読んだ書状に再び視線を走らせる。
両手の指を胸の前で組んで前を見据えていた軍主が、ゆっくりと、きっぱりと、口を開く。
「…夜襲を迎え撃とう。それしかもう道はない」
室内の空気が動いた。
「…レオン・シルバーバーグを信じると?」
「だって他にどうしようもないでしょう。それしかないなら、選びようがないじゃない」
「……そうか」
がちゃりと会議室の扉が開く。よ、と手を挙げた大統領子息にシュウが問うた。
「ルックはどうだ。出られるか」
「どうも、今は魔力がスッカラカンみたいだけどな。二、三時間も寝てりゃあ大丈夫だろ。こういうときは意地でも出てくるよ、あいつは」
「魔力がないまま出てこられても邪魔なだけだがな」
「大丈夫じゃね?よくわかんねえけど、あいつなりに急速な回復方法ってのを心得てるらしいよ」
「それくらいは心得ておいてもらわねば困る。破壊力だけなら奴が最大だからな」
そういって軍師はシーナから視線を外し、そのままアスに向ける。
「アス殿、奇襲メンバーを選んでください。あなたとビクトール、フリックを中心に三部隊作りましょう」
頷いた軍主はそれぞれのメンバーの名を口にする。異議がないのを確認した軍師は、いくつかの資料をまとめてトントンと机で揃えた。
「決行は日の入り。それまでは各自解散。他言無用だ」
***
「おい、シーナ。ちょっと付き合えよ」
真っ直ぐに魔法兵団長の部屋へと向かおうとしたシーナを呼びとめたのはビクトールとフリックだった。悪びれもせずに杯を傾ける仕草をしたビクトールにシーナは笑う。
「おいおいオッサン。これからってときにかよ?」
「なあに、一杯や二杯なんざ酒のうちに入らねえよ。昔もよくやってたことだ」
流石に酒場はまずいと弁えているのか、ビクトールの部屋に招かれる。散らかった部屋の中、三人とも床にそのまま座り込んだ。
「…ルックは大丈夫か」
「どーしたよ、フリックがあいつの心配するなんて珍しいじゃん。さっき言ったっしょ、寝てるけど平気だって」
「はは、どうもなシーナ、こいつはルックのアレを間近で見ちまったらしい。自分の方がキてんのよ」
太陽の色をした小瓶を選んで、一本頂くことにする。弱めの果実酒だ。流石にシーナは強い酒を飲んでから戦いに出る趣味はない。
「なんだ、ビビってんの?あんたらは今更だろーに」
「そうでもねえよ。あいつがあんなあからさまに真の紋章を使ったのは初めてじゃねえか?そもそも俺らは奴が真持ちだってことを、本人から聞いた訳じゃない」
そう言ってビクトールは指で腰の剣を弾いた。ああ、とシーナは納得する。
「隠してる訳じゃないらしいけどな。つーか、隠しようがないんだろ。あの年で成長止まっちまってるクセに、3年前と同じ面子がうようよいるような場所にいるんだから」
「そうさなあ…」
そう言って遠くを見るように視線を彷徨わせたビクトールが脳裏に思い描いているのが誰なのかは、手に取るようにわかってしまう。
3年前、彼らの成長が止まっていることに真っ先に気付いたのは自分だっただろう。成長期真っ只中のシーナと彼らとの身長差は少しずつ、着実に開いていった。それに気付く度に軋んだ胸の痛みを忘れたことはない。
再会したルックはひどく華奢に見えた。あの悪友との差は、今どれだけになってしまったのだろうか。久しく会っていない友人の姿をシーナもまた脳裏に浮かべる。
「…………おまえは、さ」
沈黙を破ったのはフリックだった。言い難そうに、手元のグラスを見詰めながら彼は言葉を紡ぐ。
「…おまえはあれだけあいつらの傍に居て……。欲しいと思ったこと、ないのか」
それを己に尋ねてしまうところがフリックのフリックたる所以だ。思わずシーナは苦笑いする。
「それを俺に聞くかねえ。相変わらずデリカシーってもんに欠けてんなあ」
「はっはっは。それは言ってやるなよ、なんせ万年青春男だ」
「お、おまえには言われたくないぞこの熊め!」
「ははっ」
シーナは果実酒の小瓶を床に置いた。立てた左足の上で指を組む。
「ないよ。俺はそんなもんいらない」
なんでもないような調子で答えた。決して表情は変えてたまるものか、たとえどれだけ切望していても。
「俺の仕事はあいつらがいつでも帰って来られる場所を作ることだろ。あんな力は必要ねえなあ」
そう言って、宥めるように緩く笑う。心中を、誰にも気付かれぬだけの自信があった。
本当は。
本当は、彼らと生きたい。彼らと同じ時を生きたい。馬鹿みたいにそう願ってる。
けれどもそれだけは決して口に出してはならないのだ。それを望んではならないのだ。
だって、どこにも救いがない。
彼らは老いぬ身を厭うている。世に馴染まぬ身を蔑んでいる。
己までも永遠の生に身を投げ出せば、最も哀しむのは彼らなのだ。
彼らが望むのなら託された国を育てようと思う。
彼らが望まずとも帰るべき場所を守ろうと思う。
彼らが喜ぶのなら己の幸せを精一杯見せびらかしてやろうと思う。
それがシーナにできる彼らへの親愛の示し方なのだ。
「大体さあ、俺まで不老になっちまったら誰がトランで働くんだよ。あんたらもあいつらも、皆して逃げやがって」
不貞腐れた声でそう言ってやると、ばんばんとビクトールに背を叩かれた。
「イイ男になったじゃねーか。まあ飲めよ!」
「馬っ鹿、俺は3年前からいい男だろうよ。何を今更」
フリックが小さく笑った。目だけで寄越された謝罪を、肩を竦めて受け取ってやる。
「さてさて、そろそろご機嫌ナナメなお姫さまが起き出す頃だからな。俺は退散すんぜ」
「おう。よろしく言っといてくれ」
「あんたらもほどほどになー」
立ち上がって、シーナは部屋のドアを開ける。吹き抜けた風に、言葉尻を咎められたような気がした。