「奇襲だ!!」

 早朝のビクトールを起こしたのは街の兵士の声だった。慌てて飛び起きて階下に向かうと、既にリドリーとクラウスが出陣の準備をしている。
「悪いな、今起きた。他の奴らは?」
 女中に差し出されたグラスの水を飲み干して、ビクトールは己の戦支度をする。クラウスが戸惑った声で返事をした。
「フェンさんとシーナさんが状況確認に出たのを家の人が見ています。他はわからなくて…」
「他って、アスじゃねえか。それにナナミとルックか。既に応戦してるのか?」
「誰も姿を見ていないんです」
「…それもおかしいな……」
 ビクトールは顎に手を当てた。リドリーは今にもアスを探しに行きたそうだ。

「おかしくなんかないさ」
「あいつらはいねーよ」

 唐突に割り込んできた声は隣国の英雄と大統領子息のものだった。クラウスがぱっと近寄る。
「どうでした?それから、今のはどういうことですか?」
「ティントは既に囲まれてる。守るのは無理だ、さっさと市民を逃がした方がいいな」
「アス殿は!」
 リドリーが叫ぶ。フェンが額の汗を腕でぬぐって、彼を真っ直ぐに見詰める。
「アスは昨夜のうちにティントから逃げた。ナナミと一緒に。ルックは二人が安全なところに出るまで見送ると言ってついて行った」
「まさか!アス殿が、我らを裏切るなど!!」
「疑うなら彼らの部屋に行ってみれば良い」
 ビクトールは最後まで聞かずに二階に駆け上がった。最奥のナナミの部屋の扉を殴るように開けると真っ先にベッドの上の手鏡が視界に入った。それから、机の上にナナミの書置き。
「…っ畜生!!」
 書置きを引っ掴んで階段を駆け降りる。二対の冷静な瞳と、二対の焦燥の瞳がビクトールを射抜いた。
 しわくちゃになった紙切れをリドリーに突き出す。彼は目を見開いた。
「…これは…!」
 リドリーの視線は、二度、紙面を追った。それからそれをクラウスに渡して目を瞑る。
「フェン、シーナ!おまえらは昨夜から知ってたのか!」
「知ってたよ。リオウならそうするだろうと思ったし、だからルックはついて行った」
「どうして止めなかった!」
「俺はトランの人間だ。ハイランドも都市同盟も関係ない俺の言葉であいつが動くとは思えねーけど」
「フェンは!おまえなら止められただろう!」
 ビクトールは自分でも頭に血が上っているのを感じた。少年の背丈しかないフェンが己を睨み上げる。

「僕に止める権利があると思うのか」

 ぞっとするほど冷たい声だった。傍らでクラウスがびくりと震えるのがわかる。
「国を捨てた僕に彼を止める権利があるとでも?ないに決まってるだろう、僕にもおまえにもそんな権利はある訳がない。彼を止めていいのは彼と同じように決意をして、彼と一緒に戦ってきた人間だけだ」
 シーナが軽くフェンの右腕を引いた。フェンは視線を逸らさずに頷く。
「…僕とシーナはこれから市民を逃がす手伝いをしに行く。おまえたちも動けるならそうしたらどうだ。リオウのことはそれからだ。ルックがついてる、そう簡単に死にはしない」
 クラウスがこくりと頷いた。ビクトールもひとまず従おうとする。そこに、目を開けたリドリーの冷静な声が割り込んだ。

「先程は取り乱して申し訳ない。私はここでアス殿を探そう」

 フェンが再びリドリーに向き直る。
「逃げた、と申しましたが」
「されどもし、思い直してティントに舞い戻り、奇襲を受けていたのなら如何なさる。万に一つでも可能性があるならば私は彼を探す。既に一度は無き我が命。彼に忠義を尽くした上でなければこの地を去ることはできぬ。無論此れは私の問題なれば、貴殿らは早々に去られるが良い。どちらにせよ、吸血鬼を攻めるならば増援は必須。軍師殿に伝えて頂けるとありがたい」
 フェンとリドリーは真っ直ぐに視線を交わし合った。しばらくして、フェンが一つ頷く。
「了解した。僕らは市民を逃がす。貴方はアスを探す。お互い引き揚げる際には連絡しましょう。それ以外はどうぞ、貴方の心のままに。もとより僕に、貴方を従わせる権利も理由もない」
「話の解る御人で何より。それでは」
 リドリーは軍服の裾を翻して足早に出て行った。全く口を挟めなかったビクトールとクラウスが顔を見合わせると、シーナの声が飛び込んできた。
「クラウス、おまえは戦闘要員じゃねーだろ。俺らと市民を逃がす方に回れ」
「あ、はい」
 その含みのある言い方に、ビクトールはシーナとフェンを見遣った。フェンと視線が合う。
「ビクトール、おまえも好きにすれば良い。別にもう、僕の部下じゃないしな。けど」
「…けど?」
「リドリー将軍を失いたくないなら、彼を一人にするな」
 そう言って彼もまた出て行こうとする。扉を閉める前に振り返り、低い声で漏らした。

「…あの時のパーンと同じ目をしていた」

 扉がバタンと閉まる。ビクトールは星辰剣を引っ掴んで駈け出した。