「ヒックスの成人の儀が終わったら、戦士の村に帰って結婚式を挙げるんだ!フリックさんも来てね!」
昼下がりのレストランである。恋人を軍主に連れ去られたテンガアールにケーキを奢らされていたフリックは、彼女の陽気な声に苦笑するしかない。気が向いたらなと返してやると、その返事がお気に召さないらしいテンガアールが声を張り上げた。
「なにそのめんどくさそうな返事!ボクたちの幸せなんか祝う価値がないってこと?」
「怒るなよ、そんなことは言ってないだろ」
「じゃあどういうことなのさ!」
「だってなあ……結婚式、戦士の村でやるんだろ?」
「当り前じゃないか、それがボクらの風習だもの!………もしかして、フリックさん」
テンガアールがフォークを咥えたままフリックを覗き込んだ。
「戦士の村、嫌いになった?」
「そういう訳じゃないさ」
不満そうな顔を隠しもしないテンガアールを宥める。この分ではケーキはもうひとつ必要かもしれない。
「だって、そういうことじゃないか。帰りたくないんでしょ、戦士の村に。ボクらの故郷なのに!」
「だから、帰りたくない訳じゃないって。帰りにくいだけだ」
「なんで?成人の儀が終わってないから?ていうかフリックさん、まだ成人しないの?27のくせに、図々しくない?」
「その言い方、アスそっくりだな…」
「フリックさんは押せば勝てるって、アスさんが教えてくれたんだもん」
「あいつは仲間に何を教えてるんだ」
「ちなみにアスさんにフリック対策講座を開いてるのはルックとシーナだよ。最近はフェンさんも」
「あいつらは……!」
「で、なんで?いつになったら成人するの?」
「……俺は儀式をしてないだけだ。別に構わないだろう、そんなものしなくたって成人はする」
「それだよ!そうやって儀式をバカにしてるのは、あの村が嫌いだからなんでしょ!」
「だから違うっつーに……」
わかってもらえそうにない。けれどもテンガアールは納得しなければ解放してくれないだろう。どうしたものかとフリックは小さく溜息を吐いた。
戦士の村が、嫌いなわけではない。
今でもあの村を懐かしく想う。唯一の故郷だと思っている。解放戦争のさなかに立ち寄ることになったあの村で、変わらぬ空気に安堵したのは本当だ。
けれどあの村で、どうしようもない居心地の悪さを感じたのもまた、事実なのだ。
戦士の村の男たちは強い。それは守る者を持つ人々特有の強さだ。愛する人を守るために、その名を付けた剣を振るう。そうやって戦士の村は自衛してきたし、フリックもその伝統を誇りに思っている。
けれど、愛する者を失った己はどう在れば良いのだ。剣と同じ名を持つ女を喪って、それでも未だ彼女に恋をしている己は。
なあオデッサ、おまえは笑うだろうか。いつまでもおまえを忘れない俺を、その涼やかな声で馬鹿ねと笑うだろうか。おまえに笑われても、俺は、おまえを忘れなくても良いだろうか。
守る者を持たない戦士に、あの村の正しさはあまりに痛い。だからフリックはもう何年も、あの村に帰郷できずにビクトールと旅をしている。故郷に帰れない男と故郷を亡くした男が二人、定住を避けるように旅をしている。
きっと自分たちは死ぬまで旅を続けるのだろう。きっと自分は、亡くした女を忘れることができないのだろう。愛剣を振るう度に、喪失の痛みを思い出しながら。
「……好きだから、帰れないんだよ」
フリックは向かいに座る同郷の少女に目を遣った。彼女は美味しそうにケーキを頬張って、うっとりと眼を瞑る。満足そうに笑ってから、テンガアールはゆっくりと口を開いた。
「要するに、フリックさんは」
「ん?」
少女はフォークを丁寧に皿の上において、右手の指を一本立てる。
「一生に、ひとりの人しか愛せないんだね」
おまえが言うか。そう返そうとした言葉は声に出さずとも伝わったようで、彼女はふんわりと笑う。
「しょうがないなあ。村の人たちにはボクが上手く言っといてあげるから、式には来てよね」
「それでもおまえは呼ぶんだな…」
「当り前じゃないか。祝って欲しいんだよ、フリックさんは、ボクらに生き方を教えてくれた人だから」
「…フェンじゃなくてか?」
「勿論、フェンさんのことは尊敬してるさ。だけどねフリックさん、ボクはあのひとみたく生きたいとは思わないよ。あのひとみたいな愛し方もしたいと思わない。多分、できないし」
天真爛漫に見える少女が、存外かつての軍主を正しく理解していることに小さく驚く。それを悟られたくなくてアイスコーヒーを口に含むとテンガアールは口元で笑う。まったく女というものは恐ろしい。
「試すような真似してゴメンねフリックさん。でもボクは、本当にあなたの生き方が好きなんだ。あなたのように人を愛したいと思ったんだ。だから、祝福しにきてよ。ボクたちはきちんと幸せになるから」
そう言って華やかに笑うテンガアールに、フリックは負けたなと思う。
「仕方ねえなあ……」
フリックは伝票を手に立ち上がる。レストランの入り口に彼女の片割れがやってきたのが見えたからだ。
「その頃どこにいるかわからないけどな。招待が届いたら、贈り物のひとつでも持って祝いに行ってやるよ」
「大丈夫だよ。フリックさんとビクトールさんの珍道中ならきっとすぐ見つかるもん」
「おまえなあ……」
苦笑して立ち去るフリックに後ろからテンガアールが声を掛けた。
「……戦士の村を、嫌いにならないでね」
嫌いになんて、なれるわけがないだろう。あの懐かしい村を。あの愛しい村を。
すれ違ったヒックスが不思議そうな顔で見上げてきた。その額を小突いてフリックは小さく笑みを零した。