牧場の傍、湖に面した大樹の中ほど。葉の間から差し込む朝日を浴びながら、ルックは枝に腰掛けてデュナン湖を眺めていた。昨夜は早く眠りについたため、常より早く目が覚めたのだ。
晴天である。この分ならば、昼ごろには湖からの風が陸地に吹き込むだろう。その追い風はルックにとって都合が良い。頬を撫でる暖かな風に目を閉じる。
「ルッくん!」
ぱしゅん、と気の抜けた音と共に現れたのはビッキーだった。そもそもルックをその渾名で呼ぶのは彼女しかいない。
「ちょっと、同じ枝に座らないでよ、二人は無理だって…。わかった僕がずれるからあんたは動くな」
瞬きの魔法を使おうとしたビッキーを押し留めてルックはふわりと浮いた。そのまま斜め上の枝に座りなおす。
「ここ、眺めいいねえ。ルッくん、よく来るの?」
「…まあね」
「そっかあ。あ、今度ここでランチしようよ!」
「断る」
「じゃあルッくんがいるときにご飯持ってくるね!何がいいかなあ、食べやすいものがいいよね。サンドイッチとミートパイ、どっちが好き?」
何がどう繋がって「じゃあ」なのか。ルックは呆れたが、彼女との会話がちぐはぐなのはいつものことである。どうせ勝手に行動するのだからと彼女の問いを受け流す。
「勝手にしなよ。それよりあんた、宿星になったの何回目?」
「え?えーっと…。何度目だっけ…?」
話の飛躍にビッキーは頓着しない。うーんと、と考えだした彼女にルックは溜息を吐いた。
「…いいや。あんたに聞いた僕が馬鹿だった」
「ジーンさんにはよく会うよ?」
「ジーンか…。彼女に聞いてもいいんだけどね、知られたくないことまで知られてしまいそうだから」
「そうなの?」
「ねえ、あんたは宿星の奇跡を見たことがある?」
「108人集めましたねっていう、ご褒美のこと?」
「そう」
「集まったことはあると思うんだけど…。でも、何が起こったのかはわからないなあ」
「何故さ」
「うーんとね、どうしてかわたし、戦いが終わると跳んじゃうみたいなの」
「……その暴発癖、治しなよ」
呆れながらもルックは彼女の境遇を想う。戦から戦へと跳び歩く日々を。一所に留まれない流浪の日々を。それが全く悲壮さを感じさせないのはいっそ才能だけれども。
宿星戦争に、意味なんてあるのだろうか。
石板の管理人たる自分が考えるべきことではない。けれども繰り返される戦いに、星の加護など何の価値があるというのか。争いを求める紋章も、紋章に踊らされる人間も、ひどく愚かしい。
――最も愚かなのは、それを知りながらも戦いに身を投じる己自身なのだけれど。
「ルッくん?」
黙りこくったルックを不思議そうにビッキーが見上げる。
「ルッくん、今日も戦ってくるんでしょ?頑張ってね!」
「……ま、適当に切り裂いてくるよ」
そろそろ支度をしなくてはなるまい。そう告げると、ビッキーはいってらっしゃいと手を振った。その仕草に、かつて英雄が旅立った夜を思い出す。
月が綺麗な夜だった。蜂蜜色の少年と二人、まるで夜逃げのようだとからかって。彼の赤い胴着は月光を浴びて夜闇に映えていた。そうして闇へと歩き出す彼と、風に溶けようとする己に、見送る少年が言ったのだ。笑いながら、行ってらっしゃいと。
彼も己も、行ってきますと答える勇気を持たなかった。その響きに小さく笑みを交わし合ったけれど。
ルックは緩く首を振った。感傷に意味はない。それでも思わずにはいられなかった。
ねえ兄さん、たとえばあんたが僕だったとして、
同じように紋章の紡ぐ未来に絶望したとして、
それでもこんなにも人間に絡め取られてしまったら、
あんたもこの世界を愛しただろうか。
***
アスは唇を噛み締めた。
作戦は通達済みだ。リドリーの救出はサスケとモンドに任せてあるし、ハルモニアはルックに委ねた。
戦支度は既に整っている。
「全軍、出陣ッ!!」
これ以上、何かを奪われてたまるものか。