「馬鹿じゃないの、あんた」
 すべての騎士の紋章の付け換えを終え、ルックは兵練所の塀の上に腰掛けた。同じ塀にもたれ掛かる赤騎士団長は、なにがです、と涼しい顔をしてルックを見上げる。
「僕に会ってどうするのさ」
「つれないことを仰る。あなたの副官として共にデュナン中を駆け回ったのに、別れの挨拶もさせてもらえなかった私の気持ちがわかりますか」
「わからないね。戦いが終わったなら僕の出番はないだろ」
「では、今ここにいらっしゃるのは戦いのために?」
「星は巡っていない。これは、僕の戦いじゃない」
「宿星戦争とそうでない戦争は、あなたにとってどんな違いがあるというのです?」
「僕の出る幕じゃない。それに、今回は僕が表に出た方が面倒なことになる」
「それはどういう……」
「君が知る必要のないことだ」
「……ササライ神官将に、関係のある?」
 ルックは目を見開いた。思わすカミューに視線を向ければ、彼は困ったように微笑した。
「私はマイクロトフと共に旅をしていましたし、私の故郷はハルモニアからそう遠くない。クリスタルバレーに足を運んだことくらいありますよ。昔と違って、彼は今やハルモニアの実力者です。表舞台に立っている」
「……あんただけじゃ、ないんだね」
「ええ。旅の道中、何度か以前の仲間に会ったことがありますが……。何かしらを学ぼうと、もしくは探そうとする者は、一度はハルモニアを訪れます」
「……そう。なら、わかるだろ。僕がこの顔を晒してハルモニアに喧嘩を売るのがどういうことかってことくらい」
「では、あなたはどこで生きるのですか?」
「はあ?」
「どの国でも表に出ようとしない、そしてハルモニアにも帰ろうとしないあなたは、どこで生きていくのですか。あなたがそうであるように、ササライ神官将も年を取らないのでしょう? 長い一生を、閉じこもって過ごすおつもりで?」
「あんたに関係ないだろ」
「またそれですか。あなたは昔からそうでしたよね、都合の悪いことにはすぐ口を閉ざす。自分を知られるのはそんなに怖いことですか」
 明らかな挑発口調だった。自分を怒らせるポイントを熟知しているこの男は、確かに自分の副官だったのだな、とルックはため息を吐く。それでも乗ってやるつもりは毛頭無かった。
「……ねえ、あんたは故郷がいとしい?」
「……はい?」
 予想外の質問に面食らったのだろう、カミューは右手を顎にあて、そうですね、と呟いた。
「今後あの地に帰ることはあっても暮らすことはないだろうと思います。ですが、好きか嫌いかで答えるならば好きですね。家族も友人もいますから」
「……そう」
 私の話ではなくあなたの話をしているのですが、と渋面を作るカミューをよそに、ルックは遠い西の空を眺める。
「ねえ、カミュー」
「――え」
「あんたはいつか、僕を恨むよ」
 言い切って、ルックはふうっと息を吐く。自分に好意を向けてくれる相手に対してそれを告げることは勇気のいることだ。ちらりと騎士を伺えば、ぽかんとした表情を、笑みに変えている。
「ようやく名前で呼んでくださった。お忘れかと思いましたよ」
 そんなことをのたまうものだから、ルックは毒気を抜かれて左手で顔を覆う。
「馬鹿じゃないの、あんた」
「馬鹿で結構です。……いつかあなたを恨む日が来るとしても、今の私はあなたを信頼している。わたしがあなたに会おうとする理由など、それで充分ではないですか」
 そう穏やかに告げるカミューに、これ以上言葉を重ねる意義を見失う。
「……僕はこの戦いに参加しない。でも、ここにいる人間に用があるからもうしばらくは留まるよ」
「そうですか。ではあなたの用が終わるまでに、私は仕事を終わらせなくては」
「そう簡単に戦争が終わるわけないだろ」
 呆れたように呟けば、わかりませんよと返される。ルックは遠い西の空をもう一度見上げた。

 この空の向こうに、グラスランドがある。