「初めてお目にかかります、サドラムと申します」
 真っ直ぐに背筋を伸ばして佇む貴き女性に、サドラムは深々と下げた。ジルが固い表情を変えず、静かに問いかける。
「なぜこのような真似をなさったのですか。ハルモニアの方が」
 当然、言われるだろうと思っていた台詞だ。サドラムは顔を上げてジルを見据える。恐れ多くも、ブライト王家最後の皇族を、正面から。
「我らはもともとハルモニアの人間ではありません」
「……なんですって?」
「我らはあなた様の臣下でございます、ジル・ブライト様。私は12年前のあの戦争の後、デュナンに下ることを避けてハルモニアに亡命しました。ハイランドは古くよりの親ハルモニア国家でしたから、二等市民としての市民権を得ることができ、こうして今は辺境軍に属しております。我らの隊は殆ど皆、同じような境遇の者ばかりです」
「…………そうでしたか」
 皇女は深く息を吐いた。それから一拍置いて、その黒曜の眼差しでサドラムを見詰める。
「あなた方には本当に申し訳ないことを致しました。ハイランドが滅んだのは、すべて私たちの不徳の致すところ。あなた方にはどれだけ謝っても足りぬとわかっています。……ですが、ハイランドはもう滅んだ国。ブライト王家は存在しません。私はただのジルです。ジル・ブライトという人間は既にどこにもいないのです」
「何を仰るのですかジル・ブライト様」
 この問答もまた、予想していたものだった。ジル・ブライトが己の知る、あの気高さを持ち続けているのなら、きっとそう言うであろうと思っていた。サドラムたちがこれから行うことに、ジルが決して賛同しないことはわかっていた。
 けれどそれでも、ジルが必要なのだ。ジル・ブライトの名が必要なのだ。
「あなたは我らの目の前にいらっしゃる。ブライト王家の血を継ぐあなたがいらっしゃる」
「……あなた方は、何をなさろうとしているの」
「おわかりでしょう、ジル様。我らはハイランドを復興したい。我らが生まれ、育ったあの国を、建て直したい」
「何故ですか。あの地は既にデュナンとして機能しています。徒に血を流すことなど」
「何故、とあなたが仰るのですか。ハイランドは我らの故郷です。故郷を愛するのに理由が要りますか。母国を誇るのに理由が要りますか。私は12年前にも従軍しておりました、シード将軍率いる第4軍の一般兵として。ハイランドを守らんと、その想いのみで刀を振るいました。デュナンの人間を殺しました。そう命じたのはあなた方でしょう、ジル様。あの戦争に意味がなかったと仰るおつもりですか。シード将軍が命を賭して守ろうとした国に、誇りを抱くなと仰いますか」
「……既に国は滅びたのです。どんな形であれ、いずれ国は滅びるものです」
「歴史は繰り返すと言うのならば、国を建て直してもよろしいではないのですか」
「再び血を流すのですか。漸く平穏を得たあの地に」
 今さら何を言われようと、引くつもりなどサドラムにはなかった。引き返せる程度の思いならば、始めから事を起こしたりはしないのだ。
 皇女の協力は得られないだろうとわかっていた。それでも、理解されないことは辛かった。たったひとりの、主と呼ぶべき御方に。
「……ジル様。国が重いのならば我らがその一端を担いましょう。民が惑うのならば我らが共に語り合いましょう。実りが足りぬのならば剣を鍬に持ち替える覚悟もございます。ですが、ですがジル様。ブライト王家を復興できるのはあなただけなのです。我らが忠誠を誓った主はあなただけなのです」
「…………平行線のようね」
「残念ながらそのようです。本日はお暇致しますが、いずれまた」
 サドラムは深々と頭を下げた。ジルは身じろぎひとつせぬままそれを見詰めている。
 部屋を出ようとドアノブに手を掛け、サドラムは振り返った。ジルと視線が正面からぶつかる。
「……あなたを信じて我らは生き抜いてきた。どうか、我らの期待を裏切らないでくださいませんか」
 そう言って今度こそ退室し、外から鍵を掛けた。皇女の返事は返らなかった。