こんこん、と扉が叩かれた。どうぞ、とジルは短く返事をする。
「失礼しますよ」
 いつものようにそう言って、鷲鼻の男がトレー片手に入室する。この砦でジルの世話を担当している軍人だ。何しろうちの隊には女性がいませんもんでね、お姫さまには不快な思いをさせるかもしれませんがご勘弁願いますよ、そう初日に告げた彼はハイランド出身の者ではないようだった。
「食事を持ってきました。大したもんじゃないですが、どうぞ、お姫さま」
「ありがとうございます。でも私は姫ではないと言っているでしょう、ディオスさん」
「ああ、これは失礼しましたジルさま。にしてもいちいち拘らなくても良いと思うんですがねえ、まったく偉い人ってのはわからない」
「……私にはあなたの方がよくわからないわ。あなたは何故この軍にいるの?」
 トレーをテーブルに置いた男に椅子を勧める。遠慮なく座った彼の向かい側にジルも腰を下ろした。
「言ってませんでしたか?私は本国からのお目付け役ですよ、名目はサドラム将軍の副官ですがね。体の良い左遷みたいなもので。二等市民ばかりで構成されている軍隊を放っておくほど本国はお人よしじゃありませんから。当然、将軍も承知の上です」
「では今回のことも既にハルモニアには報告してあるのね?」
「勿論です。まあナセル鳥は没収されましたがね、あれに頼らなくても連絡方法なんざいくらでもあります。将軍も内密にする気などないでしょうし。既に宣戦布告までやらかしましたからね」
「宣戦布告?デュナンに?」
「ええ、おひめ……ジルさまの名前を使って。ご存じではなかった?」
「知らないわ」
 まあそうでしょうね、なんて言ってディオスはちゃっかり自分用に注いだ茶を啜る。この神経の太さが左遷の原因ではないかとジルは薄々思ったが、まさか聞けようもない。
「必要なのはジルさまの名前と存在でしょう。あなたの意志はどうでも良いんじゃないですか?」
「……そうね」
「まあ本国としてはあなたの意志のありかも知っておきたいようですが……。なんて言っときます?」
「……え?」
「ですからね、来たんですよ、遣いが。十中八九ジル・ブライトは担がれてるだけだろうけど、一応本人の意志を聞いておこうかなと思って、なんていう阿呆みたいな遣いが。なんて答えときます?」
 このお茶あんまり美味しくないですねえ、なんていう世間話と共に彼はそんなことを言う。これがハルモニア人なのだろうか、とジルは眩暈がする思いだった。
「私の意志ではないと伝えてください。私にハイランド復興の意志はないと」
「ええ、わかりました。ではあのへらへらした男にそう伝えておきましょう」
「へらへらした男?」
「遣いの男ですよ。へらへらのらりくらり、まったく掴みどころがない人間でして」
「……私から見れば、あなたも随分と掴みどころがないわ」
「そうですか?でもあのへらへらの上司なんてもっとよくわからないお方ですよ」
「知っているの?」
「ええ、有名な方ですからね。とりあえず今は名を明かせませんが」
「……その方は、私をどうなさりたいのかしら」
 真剣にジルが問うても、ディオスはどうでしょうねえ、と空っとぼけた返事をする。ジルはこめかみを押さえた。
「まあ、助けてくれるとかそういう希望なら持たない方がいいですよ。あの方はお顔はよろしいんですが、性格の方はどうだか怪しいものです」
「……助けてもらえるとは思っていないわ」
「そうですか。まあ、あなたの意志はちゃんと伝えておきますよ」
 じゃあわたしはこれで、またあとで食器を下げに来ますから。飄々と告げてディオスは立ち上がった。