鍋にしないか、と言い出したのは連れの少年だった。
青空の下、ぐつぐつと煮えた鍋から漂う香ばしい匂いにビクトールの腹の虫が鳴る。隣でフリックが苦笑しながら、確かに美味そうだな、と鍋を覗き込む。もう少し待ってくれ、と向かいで少年がビクトールたちを留めた。
「レイ、この鍋って中身何だ?」
「グリフォンだけど」
「……そうか……」
レイと名乗る、この空色の瞳の少年と出会ったのは二月ほど前のグラスランドでのことだ。お互い旅の空、向かう方角も大体同じとあって、なんだかんだで連れだっている。戦いの腕はかなりのもので、かつ妙に料理上手なこの少年を、ビクトールとフリックはすっかり気に入っていた。難点といえばやたらとモンスターを料理に使うところだけれど、食べ慣れてしまえばなんてことはない。かつてグリフォンを仲間にしていた国王様には言えねえなあ、とビクトールは内省した。フェザーは未だ、デュナン城の屋根にいるのだろうか。
鳥の寿命って何年だっけ、などとビクトールが考え始めたところで、よし、とレイが頷いた。
「もう大丈夫」
「おっ、よっしゃあ食うぜ!」
勢いよく箸を突っ込めば、隣のフリックがそれに続く。食欲旺盛なおっさんたちだな、とレイに要らぬコメントを贈られた。
おまえが待たせるのが悪い、そうビクトールが返そうとした瞬間のことだ。レイの後ろの木立ががさがさと音を立てたかと思えば、ひょいっと黒髪の青年がそこから頭を覗かせた。青年は、あ、という形に口を開けて、木の間から抜け出してくる。
「やっぱり!こんなとこで何やってるのレイ!」
「ご飯食べてるけど……君も食べる?」
「うん貰う。……じゃなくて、駄目だよこの辺りの人たちにモンスター食べる習慣はないんだから!」
「でもこの人たち、ここらの出身らしいけど」
「……毒されちゃったんですか、レイに」
「キリルくん、ひどい」
一体何なんだ。初対面の青年に哀れむ視線を向けられて、ぽかんと呆気に取られながら、ビクトールはフリックと顔を見合わせたのだった。
「つまりキリルはレイの古い友人で、今はティントに向かっているところだと」
「はい、そうです。すみません慌ただしくしちゃって」
レイが木を削って作った即席のお椀で鍋を食べながら、キリルは申し訳なさそうに頭を下げた。デュナン城で司書をしているという彼がティントへ向かう理由はわからないが、何もこんな時期に、と思わず口に出した。
「ごたごたの真っ最中だろうがよ。そこを通ってきた俺らが言うことじゃねえが、なんだってまた」
「ちょっと緊急でして、今じゃないと駄目なんです。……ねえレイ、これ何のモンスター?」
「グリフォンだよ、あの馬だか鳥だかわからない生き物。群島にはいなかったから、僕も最近初めて食べた」
「ああ、あれかあ。……いいけどね、人だか魚だかわからないより……」
「落ち着いてキリルくん。何でもアレと比べるのは君の悪い癖だ」
「うん、ごめん……」
群島には人魚でもいたのだろうか。まあ食べたくはねえな、とビクトールは思った。話は逸らされてしまったが、初対面でこれ以上立ち入るものでもないだろう。アスの敵になる人間じゃなけりゃいいが、と思いながら肉を咀嚼する。
「落ち着いた?まったくそそっかしいな、キリルくんは。ほら言うだろう、魚人だけが、世界ではない……」
「当たり前だよ!とんだイスカス思想だよそれ!君はちょっと色々謝るべきだ、主にコルトンさんあたりに!」
「キリルくんは優しいな。あの親子は君のときサボタージュしたのに」
「いや、正直いられても気まずいだけだし……。君はあの戦いの主旨を覚えてないかもしれないけど、もし彼らがいたら、祖国に攻め込むことになったんだよ……?」
「キリルくんはほんといつ会ってもキリルくんだなあ。……でもほら、気まずくなかっただろう、ロジェとか」
「ロジェは別枠だろ!一緒にしちゃヘルムートさんに悪いよ!」
「君のその彼らへのいたわりはどこから来るんだろう……」
ここしばらく、群島で大きな争いはなかったはずなんだが、とビクトールは首を傾げた。しかし、戦いという言葉が直接戦闘を意味するとは限らない。商業合戦か何かがあったのだろうか、とフリックを見遣れば、同じ問いを抱いたのか疑問符を浮かべている。
「ところでキリルくん、君、司書やってるなら収入があるな。家はある?養ってくれないか」
ぶほ、とフリックが噴いた。若者二人はそれを意に介しもせず、とんとんと話を進めている。
「え、いいけど。珍しいね、旅に飽きた?僕の家は集合住宅だけど、それでもいい?」
「君がいるならたまには定住もいいかな、と思って。衣と食は任せてくれていい」
「食は任せるよ、でも衣はいらない……。昔マントに名前の縫い取りをされたこと、僕はまだ忘れてない。……あ、でも水辺じゃなくても大丈夫?一応少し歩けばデュナン湖があるけど」
「君は僕を水中生物だと思ってないか。大丈夫、僕は水陸両用だ。いわば両生類だな」
「うーん……。レイが胸を張れるならそれでもいいけど……」
いや訂正してやれよ、とこんな時に真っ先に言うはずのフリックは黙りこくっていた。無理もない。何故だかものすごく突っ込みづらいのだ、この二人は。
どうしたもんかね、と思いながらビクトールは四杯目を口にする。鍋はもう空だ。
「で、定住の前に、ティントだっけ?僕らはそこを通り過ぎてきたばかりだけど、付き合うよ。そういうわけで、ビクトールさん、フリックさん、僕はここで離脱する」
「ん?そうか。まあ、もともと方角が一緒の所までって話だったしな」
「俺らは首都に着いた後、多分北のほうに行くことになるが……。おまえらが長くいるつもりなら、戻ってきてからにでもまた会おうぜ」
「うん、ありがとう」
キリルはビクトールたちに頭を下げてから少し躊躇い、ありがとう、とレイに返した。困ったように笑いながら、ほんとうは、と口を開く。
「……レイに、来てもらえればな、と思ってた」
「……なかなか終わらないな、君の旅は」
いつまでも甘えててごめんね、そう言うキリルの頭をよしよしとレイが撫でた。明らかに年上であろうキリルに浮かべて見せた慈愛の笑みを不思議に思いながら、ビクトールは残り少ない旅路に思いを馳せた。