「おまえにはしばらく司書の職を離れてやってもらいたいことがある」
シュウが淡々と告げると、目の前の青年は不思議そうな表情をしながら頷いた。鉄血と恐れられるシュウを前にしても欠片も怯えを見せないあたり、なかなか見どころのある若者である。
「構いませんが、何事でしょう?王様とシュウ様が直々になんて」
「おまえ、最近の国の情勢を知っているか」
「……ごく一般的なことなら。ハルモニアの将軍がハイランド県に攻めてきたことと、ティントが独立を要求してきたことでしょうか」
「それだ。そのティントの件でおまえを呼び出した」
「はあ……。でも、僕はティントには全く詳しくないのですが」
キリルは本当に不思議そうに首を捻った。ここは国王執務室である。国王と王佐という肩書きを恐れるでもなく、少年の姿の王を侮るでもなく、ごく自然に振る舞う青年を不躾に眺め、成程肝が据わっているとシュウは思った。彼を押したのはクラウスだ。
「ティントというのは鉱山の街で、デュナンの鉄鉱は殆ど全てがティントで採掘されている。バナーの鉱山での産量は微々たるものだし、国境の向こう半分はトランのものだからな。今回独立を要求してきたのはクロムと虎口の村を含むティント一帯、普通は当然呑めるわけがない」
シュウが説明を始めると、キリルは今度は真剣な顔で頷いた。そうでしょうね、と相槌を打つ。
「ハイイーストの開戦を狙いすましてきたのはまあいい、向こうにも多少頭の回る人間がいたというだけだ。だがな、ティントは要求を呑まないのならば武力行使も辞さない、などと言ってきた」
シュウは言い捨てて舌打ちをする。武力行使の件がなければ、国王が何と言おうと鼻で笑って切り捨てた案件だ。国の武器庫をわざわざ独立させる馬鹿が何処にいる。
「ええと……。ティントの武力とは、国が恐れるほどのものなのですか?僕はよく知らなくて」
「勿論、戦ったところで国は負けない。だが二点ほど問題がある。まず第一に、独立を要求していようとティントの民もうちの国民だ。血は流したくないといううちの国王の仰せでな」
「シュウもそう思ってるんでしょ」
皮肉気に言ってやれば、話が始まってから初めてアスが口を開いた。横目で見遣ると国王は頬杖をついて笑っている。威厳も何もあったものではない。
「税収が減るからな。次にもう一点、おまえを呼び出したのはこれが原因なんだが……」
シュウは丸めて持っていた紙を王の机の上に広げる。キリルが足を進めて紙を覗き込んだ。
瞬間、彼の表情が強張る。
「これを知っているのか?俺も王も、それから軍の上層部の誰も、この兵器を知らない。おまえが軍事研究家だと聞いて呼んだわけだ」
紙に描かれているのは、まるで見たことのない兵器だった。どうやって使うものかも皆目見当がつかない。大砲のように見えなくもないが、それにしては簡易すぎるし、そもそもあんな効率の悪い兵器を使う人間は滅多にいない。紋章の方が遥かに早くて安上がりだ。しかし忍びの報告によれば、ティントがこれを切り札にしているのは間違いないのだ。
「……軍事研究家ではありません。戦いの歴史を研究しているだけです」
「だが知っているのだろう。これは何だ」
シュウが苛立ちながら問えば、キリルは深く息を吐き出してから漸く口を開いた。余程言いたくないらしい。
「……紋章砲、という言葉を聞いたことがありますか」
「群島が所持しているあれか?だがこれはあれとは随分形が異なるが」
「砲門の形は様々なんです。紋章弾を打ち出すことが出来るならそれだけで充分ですから。群島諸国が所持している紋章砲は大きな物ですが、あれはリノ・エン・クルデスのような巨大船に付けるタイプで、小型の船に取り付ける紋章砲としてはこの絵の物が一般的です」
ちゃんと目は閉じてるけど、と呟きながらキリルは溜息を吐いた。その意味はわからない。見えない会話は嫌いで、シュウは内心で舌打ちをした。
「ねえ、キリル」
アスが座ったままキリルを真っ直ぐに見上げた。なんでしょう、とキリルが問い返す。
「この兵器は、強力?」
「……とても」
「今、これは使える状況にあるのかな?」
「調べてみないと何とも。弾の流通は160年程前にストップしていますが、万が一残っているのなら使えます」
「そう。じゃあ、調べてきてくれる?」
「勿論。行かせてください」
重大事をぽんぽんと決めていく王と司書に眉を顰めるが、どの道彼に行ってもらうしかない。他に紋章弾とやらを判別できる人間はいないのだ。
「念のため、護衛を付ける。暇そうな奴を探してくるから待っていろ」
「え?いえ、いいですよ、一人で」
「大丈夫だよ、シュウ。キリル結構強いと思う」
にいっと笑って嘯くアスにシュウは苛立った視線を向ける。そういう問題ではない。国の一大事に高々2年程滞在しているだけの外国人を一人で派遣できるものか。
「一人旅には慣れてますけど……。王様、なんでそう思うんです?」
「だってキリル、隙がないでしょ。この部屋入ってからずっと。素人ができることじゃないよ」
「……大変失礼致しました」
「別にいいよ。というわけでシュウ、護衛はいらない」
言いながらアスはシュウを見て笑い掛けた。監視もいらない、この人は大丈夫。目がそう言っている。
シュウは溜息を吐いて反論を諦めた。こうなったらアスは絶対に意見を変えないし、事実、彼の眼は確かなのだ。様々な立場から108人、集めて誰一人裏切らせなかった天魁星の腕は衰えていない。
「……了解した」
「じゃあ僕は行ってきますね。……あれ?そういえば彼って、もしかして?」
あ、でも時期が合わないか、只の偶然?などと独り言を始めたキリルにアスが瞬く。
「……何事?」
「えっと、王様、僕以外にもいますよね紋章砲を知ってる人。紋章にも兵器にも詳しい知り合いいるじゃないですか。いえ、僕に振ってもらってありがたいんですけど」
「誰のこと?」
「ルックくんです。最近書庫に来てるの、ご存じでしょう?」
その名にシュウはアスと顔を見合わせた。あのいけすかない風使いの姿など、ここ数年見ていない。アスもぶんぶんと首を振っている。27にもなってその仕草はやめろと言ってやりたい。
「なんで!?ルックが城に来たら紋章の気配でわかるはずなんだけど!もしかして僕鈍った!?」
「あ…そういえば彼、いつも魔力の気配を殺してましたね。なんでだろうってずっと思ってたんです」
「……いつから来てるの、ルック。今もいる?」
「ええと……20日程前からでしょうか……。多分いると思います」
「シュウ」
「わかっている」
ハイイーストが開戦した今、彼の魔力は喉から手が出るほど欲しかった。宿星戦争でもないこの戦に彼が力を貸してくれる可能性は低いが、交渉してでも脅迫してでも協力を取り付けたい。
シュウは大股で出口に近付くと勢いよく扉を開けた。通りすがりの警備員が何事かと振り向く。その男を捕まえて、低い声で口早に命令を告げた。
「第二書庫にいるこまっしゃくれた魔法使いを今すぐとっつかまえてこい!」