最後まで見届けるからおまえのその傷に触れさせろ。


 海音寺がその電話を掛けたのは、言ってみればきまぐれだった。相手が出るなど思いもしなかったし、呼び出し音が鳴ることすら期待していなかったのだ。
 だからその無機質な呼び出し音に驚いて、寝転んでいたベッドから起き上がる。12回目のコールでようやく出た相手は、地を這うような低音でのっけからふざけるなと宣った。
「なんなんやおまえ、5分前に話したばっかやろが。そんなにヒマなんですか新田の前キャプテン様は。さっさとカノジョでも作ってそっちに電話せえ、俺の着信履歴をおまえの名前で埋める気か!」
「や、なんとなく、電源入れたかなって思うて…。おまえほんまに入れたんじゃな。かわいいとこあるじゃないの、俊二くんも」
「おまえ、次会ったときぶん殴る。今から歯ぁ喰いしばる練習しとけ」
「…さっきよりも機嫌悪くない?なにがあったんじゃ5分間で」
「何もねえよ。邪推すんな」
「うっわあほんま機嫌わる…。なんじゃ、門脇か?」
「切るで」
「はいはい俺が悪うございました。そんな怒んなよ」
 ちくしょう、出るんじゃなかった。忌々しげに吐かれた言葉に海音寺は苦笑する。
「ストレスの溜め過ぎは体に良くないじゃろ。俺でよければ捌け口になるけど?」
「あほ、おまえなんかに愚痴ってやるかよ」
「俺は別にええけど。瑞垣、おまえ、損な生き方しとるよな…」
「はん、優等生キャプテンの一希くんには言われたくない台詞やな。重たい荷物自分から背負いに行くような人間よりは楽に生きてますぅ」
「そうかあ?おまえも似たようなもんじゃろが」
 時々、本当に似ているなと思うのだ。表面上は似ても似つかない自分たちが。
 おそらく同じ位置に立っているのだ、彼と自分は。それはショートというポジションだけでなく、ゲームメイカーという立場だけではなく、もっと本質的なところで。それが何なのか海音寺には言葉にすることができないけれど、時々本当に、彼と背中合わせで一緒に立っている気がするのだ。
 それはこれまで誰にも抱かなかった感覚だ。だからこそ自分は、瑞垣に近付きたい。
 自分と同じで、けれども門脇秀吾の隣で生きてきた、彼の本音を暴いてやりたい。
「一緒にすんな。つかおまえ、ほんとに用ないわけ?いい加減にしろよ、何回目やこのパターン…。だから電源切りたくなるんや、この電話魔」
「うーん、でも俺こんなに電話すんのは瑞垣だけじゃな」
「は?おまえ、普段から電話とかメールとか、多い人間やないの?」
「や、そんなことねえよ。よく不携帯電話って言われるし」
「…俺、おまえのケータイの発信履歴、見たくない」
「あ、次会ったとき見せようか?今すごいぞ、見事に瑞垣俊二で埋まっとる」
「サイッアク…」
 本気で嫌そうに呟く瑞垣に、海音寺はこっそり破顔した。それが見えた訳ではないだろうけれど、腹立たしげに瑞垣が不穏な台詞を言い捨てる。
「言うとくけど、俺、試合終わったらおまえのアドレス消すからな」
「うわ、何じゃその冷たい言葉は…。おまえほんまにモテるんか?」
「おまえと女を同列にすんな。女の子はもっと優しく扱いますぅ」
「ふうん…。ま、ええけどな、消されたって」
「…へえ?」
 挑戦的な声の響きに、海音寺はふふんと笑う。だって今回はこちらに分がある。
「何回でもかけるまでじゃ。俺はおまえのアドレス消さんし。おまえが俺の番号覚えるくらい、何遍だってかけてやる」
 瑞垣が小さく息を飲む音がした。してやったり、と海音寺はほくそ笑む。
 ――おまえは人に振り回される経験が少な過ぎるんだよ。度々おまえや原田に振り回されてる俺を舐めるな。いつもいつも、自分が主導権を握ってると思うなよ。
「…あらまあ一希ちゃんたら情熱的な愛の告白ね。ヘタクソな秀吾とはえらい違い」
「なんじゃ、門脇に告白でもされたんか?5分間で」
「まあね、俺ってモテるから?まっ、キレイに振ってやったけどな」
「ふうん、そりゃあ…ご愁傷様じゃな」
「秀吾に言えよ」
「や、どっちも。おまえも、ご愁傷様」
「はあ?」
「だっておまえ、好きなものの傍にはいられない人間じゃろ」
 半分はったりだった。けれども彼が電話の向こうで黙ったから、それは確信に変わる。

 瑞垣はひどく臆病だ。本人は全力で否定するだろうけれど。
 臆病者だからこそ彼は偽装する。軽薄さという壁をまとう。言葉という武器を抱く。

 ひっぺがしてやりたい。
 その壁を、檻を、ぶち壊してやりたい。
 門脇にも原田にもできないやり方で、彼の本音を引きずり出してやりたい。

 自分の隣に門脇がいたら自分は彼のように捻くれた天の邪鬼になっただろうか?きっと否だ。
 瑞垣の隣に門脇がいなかったら彼は自分のように痛みに鈍感になっただろうか?たぶん否だ。
 それでも自分たちは同じなのだろうと、そう思う。

 なあ瑞垣、俺はおまえの本音が知りたい。
 何を思って門脇の隣で生きてきた?
 何を思って門脇の隣を捨てていく?
 それから、
 おまえにとって、野球は一体何だった?


「海音寺、おまえ、ほんっとにサイアクやな…」
「…それは褒め言葉として受け取ってもええか?」
「どこをどう曲解すればそうなるんや…」
「うん…うまく言えんけど、瑞垣」
「なんや」
「今の俺らにとって15年はすべてじゃけど…。…15年って、人生の中ではきっと、何分の一かになるんじゃぞ」
「…そーゆー話はせめて15年後にせえ」
 それは、15年後もおまえの傍にいることを許されたと、そう解釈しても良いのだろうか?


 俺はおまえだ、おまえは俺だ。
 だから俺は、おまえが知りたい。
 おまえの痛みを、苦しみを、焦燥を、劣等感を、俺は知りたい。